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これは アタシの様なキリスト教初学者の読むモノではないですね(笑) 著者は 新約聖書学 初期キリスト教史が専門の佐藤研(さとうみがく)さん 関係ないですが 日本の聖書学者は 他に荒井献(あらいささぐ)さんとか 不思議な名前の読みをする方がいますね 佐藤研さんは 岩波書店の新約聖書で マルコ マタイ ルカの共観福音書を訳してます それから 『福音書共観表』も訳しつつ編んでますね まぁ 青野太潮 荒井献 大貫隆 田川建三 八木誠一 上村静 などという日本の新約聖書学の中心にいるお一人です この本には 初期キリスト教についての幾つかの論考が収められています 序章は キリスト教という概念の成立について キリスト教のイデンティテについて ユダヤ教イエス派の運動にはじまり 第一次ユダヤ戦争後のユダヤ教からの完全な分離独立を分水嶺にして 主にパウロによる異教徒(ユダヤ教徒ではない人たち)への宣教と ユダヤ教批判がその中心となっていったのです 特に キリスト教において重要な聖餐の問題が取り上げられます 第一章は 新約聖書の死生観を旧約聖書 初期ユダヤ教 そして新約聖書に求め それが 創造神への応答性の内にある倫理的営みであり 更にはイエスの復活が黙示思想に結びつけられていく様をパウロ マルコ ヨハネの文書にみていきます 第二章では 通常「洗礼」と訳される言葉をギリシャ語から改めて考え直し 浸礼という言葉に置き換え バプテスマのヨハネ(教団)とユダヤ教イエス派の関係 そして 初期キリスト教が何故浸礼を受容したのかが考察されます 第三章は パウロの「ダマスコス体験」 例の「眼から鱗が落ちる」という出来事の神学的な検討です 第四章 これが難しかった「イスラエルの預言の構成要素と新約聖書」 旧約聖書に記された預言の伝統が どの様に新約聖書に流れ込んでいるかを黙示思想(終末論)をキーに考究したものです 第五章は 使徒行伝18章 24-28に登場するアレクサンドリア出身の伝道者アポロについてのギリシャ語原典を用いたテキスト・クリティク 専門的過ぎるし ギリシャ語を始めたばっかのアタシには 無理(笑)ただ アポロ伝承の座 とルカによる編集の分析は面白かったけどね 第六章は 色々と問題の言われる新約聖書/公同書簡のヤコブ書についてです パウロ批判の部分では ヤコブ書著者の意図的な批判が パウロの言葉に安易に凭れる教会構成員に対して突きつけられたものではないか という主張がなされます そして 第七章もヤコブ書について 新訳学者Ed Parish Sandersの学説であるユダヤ教の「契約的遵法主義」を用いてヤコブ書を分析したものです 「契約的遵法主義」とは 簡単に言ってしまえば ユダヤ教の律法を遵守することが行動(業)によってのみ評価される という従来のキリスト教側からのユダヤ教理解を根本から改変するものです ここで詳しく説明しませんが 興味のある方は サンダース教授の『パウロ』(教文館/2002)がオススメです 最後の終章は マルコ福音書11章 12-14 20-21の「枯らされた無花果の木」を イエスの呪いという視点で分析したものです この物語の理不尽さ イエスの身勝手さについて哲学者のバートランド・ラッセル卿は 仏陀やソクラテスの方が 聡明さや徳の点でイエスよりは上だと思う と書いています(Why I am not a chiristian / p.19 / a touchstone book N.Y.) 著者は この物語が ユダヤ戦争によるエルサレム破壊の原因を キリスト教に冷淡だったエルサレム自身に帰すために作られたものだと分析しています と言ふ理由で いささか専門的過ぎて 初学者のアタシには難解ホークスでした(笑) 佐藤研さんの他の著作も書架に揃いつつありますが その前に アタシにはも少し 基本的なコトを学ぶ必要があります
by duchampped
| 2013-07-14 15:27
| 逍遙的読書
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