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ミュンヘン近郊にランツフットという古い街がある。ババリアの王様が一時期住んでいたという由緒ある美しい街だ。そこに友人のドイツ人夫婦の家がある。築百年以上の建物を友人の建築家とリペアして住んでいる。ダンナのT氏は工業高校と短大を合わせた学校の技術の先生で奥さんは現代美術の作家である。F氏夫妻というのが階上に住んでいて何度かバーベキューをやったりピクニックに行ったりして仲良くしている。このF氏はハンガリー出身の(たぶん)ユダヤ人で街の教育委員会の偉いさんの様だ。F氏が街のアート・スペースのプロデューサーでもある関係で現代美術作家の相方とは古い知り合いなのである。アタシはドイツ人のダンナとは「鉄ちゃん仲間」だし、このF氏とは「フランス思想仲間(半分冗談)」なのだ。というかワイワイ言いながら散々食事中にビールを飲んだ後はT氏秘蔵のスピリッツ(出身はミュンヘンよりも北の山間でそこの農家が作っている洋梨のスピリッツ)やアタシが持参した泡盛なぞなめながらダラダラ話をする。アタシのいいかげんな英語につきあってもらうのである。 このF氏が実に物知りなのである。というのは数年前に最初に会った日の夜、裏庭でロウソクを点けてうだうだ飲んでいて、アタシはロウソクの炎を見ながら思索するフランス人の哲学者の名前が思い出せなくて藻掻き苦しんでいた。そうしたらF氏が「ガストン・バシュラール」と一発で答えてくれたのだ。 以来、F氏に会うと “よお、ガストン元気?” とか “ムッシュ・バシュラール” とか呼んでお互いに笑い会う。 で、今回は読んでいた『百代の過客』の話をしたらF氏はドナルド・キーンを知っていたのだ。ドイツ人夫妻の奥様も知っていたが彼女は知日家で何度も来日しているし日本文学にも造詣が深い。特に村上春樹が好きで新作を読んでいないアタシは困った。(もちろん彼女はドイツ語訳で読んでいるのだが)しかしF氏の専門は教育学だし美術に詳しいのは知っていたが芭蕉のコトも知っていたとは正直吃驚。 そりゃ吃驚もする。何しろアタシはハンガリーの古典のことなんて全く知らない。というかハンガリー文学なんて見当もつかない。ドイツの古典だってロクに読んじゃいない。ノヴァーリスを古典というのかどうかすら曖昧だ。ゴーレムの話くらいはするがアレはユダヤ教だしなぁ。 それで考えたのが「教養」ということだった。 たぶんそれは具体的な実用性を持たない知識を並べ替えたり組み合わせたりすることで世界の不思議さの中に自分を再ポジショニングする幅のことだ。言い換えれば世界を受容する際の「解釈のバリエーション」をどのくらい用意できるか、ということ。 想像力の原資は教養以外にはない。 大学進学率の高くないドイツで彼らは大学を出ているから実に良く勉強をしている。日本の大卒とは比較にならないくらいにヨーロッパの古典に詳しい。美術も音楽も文学も大凡のことなら知っている。 現代美術作家の奥様が以前に日本の某国立大学でワークショップをしたことがあったのだが、その時彼女から「彼ら(学生たち)は知的障害学級なのか?」とマジに訊かれた。それほど日本の大学生は何も知らないと驚いていた。そもそも大学生が英語でコミュニケーションできないという事態が信じられないらしい。つまり彼らから見れば教養のはるか以前の話なのだ。 と言ふ理由で、蓮実重彦氏は散々腐していたがドナルド・キーン氏の『百代の過客』である。これが朝日新聞に連載されたものだとアタシは知らなかったのだが、実に様々な日本人の書いた日記が収められている。というか古典や文学史で習った様な「更級日記」「土佐日記」「蜉蝣日記」や紫式部、和泉式部、讃岐典侍、建礼門院右京大夫などという歌集で見たことのある名前を別にすれば群書類従でしか読めない様な平安時代から江戸時代までの日記がズラズラと並ぶ。 おいおい群書類従だぜ。(笑) 例えば定家の「明月記」は堀田善衛氏の「定家明月記私抄」を何度も読んでいて好きなのだが、有名な「世上乱逆追討耳ニ満ツト雖モ、之ヲ注セズ。紅旗征戎吾ガ事ニ非ズ。」が定家卿19歳のマニフェストだとアタシは長らく思っていた。(平清盛の福原遷都の頃) 堀田善衛さんは定家の時代を高く評価している。 「それは高度きわまりない一つの文化である。そうして別に考えてみるまでもなく、中国だけを除いてはこの12世紀から13世紀にかけてかくまでの高踏に達しえた文化というものが人間世界にあって他のどこにも見ることがないというにいたっては、さてこれを何と呼ぶべきかと誰にしても迷わないではいられないであろうと思う。この当時の西欧世界のことなどは言う必要もないのであって、美どころか無骨きわまりない原始的な宗教画などに肌の荒い情熱が燃えさかっていた時のことである。 けれども、さていったい、だからどうだと言うのであろうという不可避な念を更におすとなれば、この音楽はその瞬間にはたと消えてしまってあとには虚無が残りばかりなのである。そこには意味も思想も、そんなものは皆無なのである。奇怪、などと言ってみてもはじまりはしない。」「定家明月記私抄」p.12 しかし、実際には70歳くらいの頃に書かれたものだと研究者が立証したというのを今回初めて知った。「紅旗」「征戎」がそれぞれ「天子」と「征夷大将軍」を表すのだが70歳の定家がこれを記したならばそれは正に承久の乱の後のことなのである。さすれば意味は自ずと異なってくる。この言葉の本歌は白居易の「紅旗破賊吾が事にあらず」というのはたしか堀田善衛氏も書いていたが、これが己の不遇を風流によって癒すという元の意味からむしろ世間的栄達に執着した定家卿の韜晦であるという説も面白い。いずれにせよ新古今集の超絶的な日本語感覚をドナルド・キーン氏がどのように諒解しているのか少々不思議な部分もある。 という風に実は78篇の日記についていろいろあるのだ。しかし何よりもアタシの知らないことが山ほど書いてあり、とりあえずはこの600ページを堪能した。引用が原典(古文)なのでゆっくり読まないと意味がとれないこともあって読むのには予想外に時間がかかったが、これは実に悦楽的な読書でもあった。新聞連載ということもあってやや単調ではあるが、各篇が芳醇な日本的美意識の有り様のバリエーションでもあり、日本人に生まれてきたこと(日本語という特殊な言語を読解できること)の喜びをしみじみと感じられる至福の時間であった。 続編も読むことにした。
by duchampped
| 2014-05-20 14:26
| 逍遙的読書
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