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内田樹さんと中田考さんというイスラーム法学者の対談。中田氏は東大のイスラム学科一期生で4年生になる春にイスラーム教徒になり、東大卒業後エジプト・カイロ大学に留学し哲学博士号を取得、サウジアラビア日本大使館に勤めた後帰国、山口大学を経て同志社大学神学部の教授を勤めたという御仁。昨年末イスラム国に融解された日本人を巡る醜聞の際に日本政府からは犯罪者扱いされていた。 この対談でアタシのイスラームに対する考え方が変わった。 まぁ、内田樹氏の主張はアメリカの推し進めるグローバリズム(と言う名の独占資本優先の拝金主義)に対して国民国家共同体による弱者保護という最近ずーっと内田さんが言っていることの繰り返しなので特に新鮮さはない。 むしろアタシは初めて中田さんという方の言葉を読んだのだがこれが新鮮だった。確かにイスラームの聖典クルアーン(コーラン)はアラビア語で書かれたモノだけが正統であって、全てのイスラームはアラブ語で聖なる祈りを捧げる。 アタシはトルコ共和国に何度も行っているが、日の出から日没までモスクから大きな声で聞こえてくるアザーン(お祈りの時間ですよ〜というお知らせ)はアラビア語なので友人(ムスリムのトルコ人)に訊いたら「実はアラビア語が出来ないのでボンヤリとしか意味は分からない」と言ってた。クルアーンの言葉も子供の頃から暗記したがアラビア語は呪文の様に覚えているだけらしい。 同様にユダヤ教もヘブライ語聖書のみが正典である。イスラエルで使われている現行のヘブライ語はこの古典ヘブライ語から再生された言語なのだ。 ユダヤ教から生まれた初期キリスト教はおそらくアラム語で弟子たちと話していたナザレのイエスの言動が、イエスの死後30-40程経ってからコイネー(アレクサンダー大王の遠征で広まった共通ギリシャ語)で福音書(書かれた順番でマルコ、マタイ・ルカ(使徒行伝も同じ著者)、ヨハネ)として書かれた。しかし既に離散していたユダヤ人たちが最初期のキリスト教徒であった為に彼等の共通語(コイネー)で文書が書かれ、またイエスがメシア(ギリシア語ではクリストス)であることの証拠とされたヘブライ語聖書(旧約聖書とキリスト教徒は呼んだ)もギリシア語訳(70人訳・セプトゥアギンタ)が用いられた。 ローマ帝国で国教となったキリスト教はローマ人の言葉(ラテン語)に訳され、カトリック教会ではラテン語のみが聖典の言葉とされてきたのだ。ローマ帝国崩壊後はロマン語化した言葉しか知らない一般の信者にはラテン語は理解されず、教会を飾る宗教画は文字の読めない者たちのための聖書となったのであった。もちろんその後プロテスタントに依ってラテン語聖書は各国語に訳され流通した。 しかし、本来的にイスラームは一つの言葉(アラビア語)で同じ信仰を持っている集団だし、そもそもイスラームは信仰と生活、政治と経済が渾然一体となっているモノなので20世紀以降の国民国家という西洋列強の強いた国境とは馴染まないものなのだと中田さんは主張する。 イスラームは遊牧民から発祥したのだ。移動と交易の民なのだからアメリカ型グローバリズムが求める様な国境という格差装置に因る「国益優先主義」とは真っ向から対立する価値観なのだ。 グローバリズムとは、アメリカの「世界を単一の市場にして効率的に富を独占したい」という欲望に過ぎない。 しかしイスラームも複数の国家に別れて「国益」を掲げて争っている。同じ穴の狢状態。 中田氏の主張。国境という装置がグローバリズムを発生させる。本来的には国境という概念のないイスラームが一致団結してアメリカ的グローバリズムを粉砕するという構図は単純過ぎるが説得力はある。 国家という「法人」を遊牧民の族長たちが一族を治めるのと同じレベルでやるから現在の極端な独裁国家が出来た。そして、金満サウジアラビアが国内でイスラーム法を遵守しても近隣の貧しいムスリムを無視するのはイスラームとして間違っている。石油資源はイスラーム全体の財産だと言う。 そこで中田氏は「カリフ制の復活」を主張している。ムハンマド亡き後、イスラーム共同体の政治的後継者で、アッラーの意志であるイスラーム法を代行するのがカリフ。4代目までは共同体の総意で選ばれたが5代目は世襲、以降オスマントルコ解体されアタチュルクに依るトルコ建国まで存続した。もちろんイスラーム法に従うので民主主義や個人主義などの近代的な志向とは馴染まない。しかし、アメリカの単一市場主義拝金主義による人類全体の不幸に対する戦略としては有効である様な気もする。 少なくともアメリカ主導のグローバリズムに世界的な規模で対抗する方法は他になかなか探し難い。我々一人一人がグローバリズムという拝金主義を鼻で嗤ってしまうことも重要だが、市場構造そのものから離脱することは困難だ。
by duchampped
| 2015-05-22 17:49
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