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寒くて良く眠れなかった。花巻駅は東口しかない、昨夜泊まった西口には公共地下道で駅の反対側に出るのだ。駅舎。まだ夜が明けきっていない。6:47発の釜石線釜石行に乗る。 デジカメって凄いなぁ、と思う。けっこう暗いのに昼の様に写ってしまう。 釜石線は非電化、JR東日本の非電化線区はこれでしょう、というキハ100系、3両編成。 東北本線と盛岡方面にしばらく並走した後、釜石線は分かれていく。 似内駅。軽便鉄道の駅として1913年(大正2年)に開業した古い駅。島式ホーム1面2線、駅舎側に側線がある。 北上川を渡る。 1985年(昭和60年)まで矢沢という駅があったが、東北新幹線と接続する新花巻駅になって遠野側に200mくらい移動した。線路が奇妙にカーブしているのは相対式2面2線だった矢沢駅の名残。左側の更地になっている部分に矢沢駅があった。新花巻駅は東北新幹線とほぼ直角に交差している。 小山田駅。露骨に相対式2面2線のホームが残っている。 土沢駅。花巻方面ホームに高校生がいっぱいいる。 列車交換で時間があったので駅から出て駅舎を撮る。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』の始発駅はここがモデルになったらしい。もちろん軽便鉄道時代の駅なので現行のものとはあまり関係ない。 列車交換、既に高校生でいっぱいの車両が朝陽を背に受けやって来た。 晴山(はるやま)駅。何とも長閑。 岩根橋駅。晴山に続きこの駅もカーブしている。 達曽部川橋梁を渡る。こちらもめがね橋だ。 宮守駅で列車交換。 有名な宮守川橋梁を渡るが車上からアーチはほとんど見えない。 不思議な流れ方をしている猿ヶ石川。遠野では河童の棲む川で有名だ。 柏木平駅。相対式2面2線の痕跡は分からない。 鱒沢駅。1915年(大正4年)に岩手軽便鉄道の駅として開業した時は「宇洞(うとう)」だった。鱒沢という駅が隣の荒谷前駅との間にあったが1924年(大正13年)に中鱒沢に改称され、宇洞が鱒沢に改称された。中鱒沢は1936年(昭和11年)の国有化に際して廃止された。 荒谷前駅。ホームがカーブしている。 岩手二日町駅。元は島式ホーム1面2線だったのが分かる。 綾織駅。ここまで、晴山、岩根橋、鱒沢、岩手二日町のホーム上にも同じ小さな待合室があった。 綺麗な駅名は所在地綾織町の地名。 遠野駅。大きい駅だ。 駅舎は1950年(昭和25年)硬質コンクリートブロックで建築された。しかし老朽化が進み、2階にあったフォルクローロ(JR東日本経営の宿泊施設)も閉鎖され、小規模な駅舎への建て替えをする様だ。もったいないなぁ。 青笹駅。青笹町青笹にある。ホームと道を挟んで駅舎があるという珍しい駅。 クルマの横にあるのが煉瓦造りの小さな駅舎。 岩手上郷駅。島式ホーム1面2線の列車交換可能な駅。ホーム上にお馴染みの小さな待合室。 平倉駅。周囲に人家がない。平倉の小さな集落は300mくらい手前にあった。 足ヶ瀬駅。釜石線で最も高い標高473mにある。かつては仙人峠を鉄道が越えられず、この駅から人力で嶮しい仙人峠を越えて仙人峠駅(1915年大正4年開業)まで歩かなければならなかった。釜石線が全通したのは1950年(昭和25年)だった。 列車はまず足ヶ瀬トンネル(1831m)で栗の木峠をくぐる。 更に3つのトンネルを抜けて上有住駅にまで行く。 上有住を出るとすぐに土倉トンネル(2975m)で東に進む。入口に立つ慰霊碑は誰を鎮魂しているのだろうか。 土倉トンネルを出ると大きく左にカーブして進路を北向きに変える。 第1唄貝トンネル(348m)で少し右に曲がって、陸中大橋の方に近づく感じ。 第2唄貝トンネル(72m)でさらに右に曲がる。 第3唄貝トンネル(30?m)でも右に少し曲がり、 橋梁を渡り、 第4唄貝トンネル(704m)で北上する。 第5唄貝トンネル(54m)で左に曲がって 第6唄貝トンネル(477m)で大きく左に曲がる。 この段階で線路は北に向いている。北上して鬼ヶ沢橋梁を渡る。 右下に南下する釜石線が見える。つまりこの部分は陸中大橋から南下する線路とほぼ平行している。 左に大きくカーブしてΩを描き始める。第1大橋トンネル(308m?)で更に左に曲がり、 第2大橋トンネル(1280m)まで左に曲がるが、トンネルの中で大きく右に円弧を描いて方向転換する。 トンネルを出ると南に向かって陸中大橋駅に到着。 陸中大橋で列車交換。後の方に今出てきた第2大橋トンネルの出口が見える。右手に釜石鉱山が現役だった時代のホッパー遺構。脱力するような看板が付けられている。これはやめた方が良い。景色を悪くするノイズにしかなっていない。無ければ遺構として丁寧に写真を撮る人も増えるだろう。ホーム上には、また同じ小さな待合室。既製品なのか? 駅前広場に路線バス。建物は釜石大橋郵便局。バスにも、郵便局にも人の気配がない。 粉雪が舞う中、花巻行の快速列車が3両編成でやってきた。快速は陸中大橋駅に停車しない。 釜石に向かって南下すると、車窓右の上方に先程北上した鬼ヶ沢橋梁が見える。ほぼ平行しているが高低差が凄い。 陸中大橋駅自体がまだまだ高い場所にあることが分かる。橋梁の下は深い谷。 洞泉駅。元は島式ホーム1面2線だった 松倉駅で幼稚園児が乗ってきた、運転士さんと「遠足ですかねぇ」と話した。 小佐野(こさの)駅。先程、陸中大橋ですれ違った快速列車はこの駅から遠野まで停まらない。(松倉駅と岩手上郷駅に停まる列車もある) 釜石に近づくと左から山田線の線路が寄ってくる。2011年(平成23年)の東日本大震災で不通になって以来車両が通っていないのか、線路は完全に錆びている。 花巻から2時間24分かかって釜石。転車台が見える。左の山田線は錆び錆び。 9:11に到着。 6分後の9:17に出る三陸鉄道南リアス線がホームに停まっている。これに乗り換える。 ・・・と、とりあえず、ここまでで前半が終了。 この後は三陸鉄道南リアス線で盛、そこから大船渡線BRTで気仙沼。気仙沼から大船渡線で一ノ関。新幹線に乗り換えて郡山。さらに磐越西線で会津若松まで行くのだ。 長いなぁ。
by duchampped
| 2016-11-29 09:12
| 各駅的阿房列車
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