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![]() 最初に 結論を述べます とりあえず イキナリ 新約聖書を読むのは 止めた方が良いです というか 先にこの本を読んでから 新約聖書を読むべき とまで言います(笑) このコンパクトな新書本では 新約聖書の成立をメインに それまでの旧約聖書の描くユダヤ民族の歴史やメシア※など キリスト教そのものを理解するのに必要な前提となる知識が記述されます ※ギリシャ語でキリスト=油を注がれた者 ユダヤ統一王国を建てたダビデのことを指すことが多い だからメシアとされたイエスの磔刑図で十字架に“I.N.R.I.”=IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM(ユダヤ人の王 ナザレのイエス)と描かれていることが多いワケですな で 続けて イエスの磔刑後 使徒行伝から初期エルサレム教団(アラム語※を話すユダヤ人たち ペテロ・ヤコブ等の律法主義者)とヘレニスト(ギリシャ語を話す者たち パウロを中心にした非律法主義者たち)の活動を略述し その中で ヘレニストの活動から最初のマルコ伝が紀元60年頃にギリシャ語で書かれたという説がきます ※ アラム語は 当時イエスも使っていた言葉です ユダヤ民族の言語であるヘブル(ヘブライ)語が ディアスポラで各地に拡散したユダヤ人たちによって現地の言葉と融合されたものらしい マルコ伝は エルサレム教団を組織した人々 つまり生前のイエスが弟子たちとした連中を 批判的に扱っています つまり 口頭でのイエス言行録を伝える者たちの権威とは違う立場なのでしょう そして エルサレム教団はイエス自身の活動=ユダヤ教分派 としての色合いが濃厚です 彼等は 律法こそが神とユダヤ人をつなげるという信仰です キリスト教徒は異なります 対する マルコ伝は 人の子イエスが精霊を受けて神との直接の関係を持つ様になったというお話です さらに ユダヤ戦争後 イエスの直弟子たちの高齢化などで おそらくエルサレム教団を中心にイエスの語録が作られたのでしょう それがいわゆるQ資料と呼ばれるものであり マルコとQ資料に基づいて マタイ伝とルカ伝が相互には関係なく 紀元70-80年頃にギリシャ語で記されます 実は この本で初めて知ったのですが マタイ伝の有名な山上の垂訓 その冒頭は一般的な日本語訳聖書では「心の貧しいものは幸いである」となっています が これを著者は意図的な意訳(?)であると指摘しています この文章の「心」に当たるギリシャ語は「プネウマ」という単語で 本来は「霊」という言葉とのことです その数行語にある「カルディア」が本来「心」と訳される言葉で 実際に「心の清いものたち」と訳されています しかも この「プネウマ」は同じ日本語訳聖書の他の部分では全て「霊」と訳されているのだそうです ですから正しくは「霊において貧しい者は幸いである」なのです しかし この「霊において貧しい」とは どーいう意味なのでしょうか? 実は次のルカ伝にも この山上の垂訓に相当するイエスの言葉が載っています そこは「貧しい者は幸いである」となっており(単に金が無いヤツは神の良き言葉=福音を聴ける という意味) おそらくコチラが原型であって この「貧者の方が神に近い」という言葉を マズイ と考えたのがマタイを書いた記者ではないか とのことです 詳しくは同じ著者の『新約聖書の誕生』(講談社選書メチエ)に詳述されていると思われます さて ルカ伝から内容的に続くと言われる使徒行伝までを解説し この3つの共観福音書とは姿勢が根本的に異なるヨハネ伝(紀元100年頃)に話は移ります このヨハネ福音書は 共観福音書と異なり イエスはロゴスとして誕生前から神の横にあり 地上に肉化した神の子である という認識で記述されています 神と人間の関係では無く 人間が人間を指導する装置として このヨハネ伝は都合の良い理屈で組み立てられているのであり その後の偏狭なキリスト教原理主義を生み出す素因になった という著者の説はなかなか面白いですね 実際に キリスト教を受け入れたローマ皇帝コンスタンティアヌスが出席したニカイア会議では イエスは神であるとするアタナシオス派が勝利し イエスは人であったというアリウス派は異端として切り捨てられました さて そもそも ヘブライ語聖書(キリスト教から見れば旧約聖書)は 錯綜する複数の物語が歴史的には紀元前1300年の出エジプトから始まりローマ帝国の支配まで 長い年月をかけて束ねられ 内容的に多くの矛盾をかかえたまま ある悲劇的な民族に固有の恩寵として 彼等によって「聖書」とされたものです もちろんこの聖書はヘブライ語(一部アラム語)で記述されているので ヘブライ語を読めないディアスポラのユダヤ人や改宗ユダヤ人のためにギリシャ語訳も作られました(紀元前3世紀〜1世紀頃) それが有名な70人訳(セプトゥアギンタ)ですね そして この聖書は神殿と儀式を失ったユダヤ人が 神とのつながりを独占するためのルール(律法)を書き記したものとして 極めて特殊な形で尊重されたのです しかし ヘブライ語聖書が今の形になったのはイエスの死後 ユダヤ戦争の後のことらしいです さて ユダヤ教徒のイエスは ユダヤ教内の新たな運動として神殿(サドカイ派)と律法(ファリサイ派=後のユダヤ教正統派)を否定しました そして イエスは ユダヤ教の分派活動家として 死刑になったのです しかし この歴史上のイエスと 後のキリスト教さらには新約聖書は ある意味では別の文脈に沿って作られたものなのです その後 ユダヤ教内の活動であったエルサレム教団から分離したヘレニストたちが パウロを中心として ギリシャ語の宗教である「キリスト教」を創始するのでした その新興宗教キリスト教の活動の中で 徐々に100年以上の時間をかけて編纂された文書が新約聖書です このギリシャ語の新約聖書は キリスト教がローマ帝国の国教として認められた4世紀頃には ヒエロニムスによって元のギリシャ語からローマ帝国の公用語ラテン語に翻訳され「ウルガータ」として完成されました それから 何と1000年後 1545年のトリエント公会議で正式にラテン語訳の公式聖書が認定されたのであります レビューが長くなりすぎましたねぇ まだ続きますが この辺でオシマイにします(笑) とにかく コンパクトな新書本としてはビックリする程の内容が しかも読みやすく収納されています くどいですが 新訳聖書を読むなら せめてこの本を読んでからにしませう
by duchampped
| 2012-11-05 11:06
| 逍遙的読書
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