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![]() 冗長という言葉がある それは くどい 無駄な反復に満ちているという意味だ 正に この本をうめている文章がそうだ 著者の後書きを入れて272ページに渡って延々と贅言が繰り返されているのだが 面倒だから しないが 同じ内容を10分の1の語数で言い換えるコトは容易だろうと思う 編集者は関与していないのかしらね ホントにヒドイ(笑) 例えば 次のパラグラフ(面倒だけどパラグラフ全体を引用するのは 個々の文章の瑕疵を問うのではないからです 念のため) 【青空を見るとき、なるほど、ひとびとは純正なる物理現象を前にして、しかしながら、同時に青空をめぐる表象の枠組みに、くりかえし絡めとられているわけだ。そのなかで、もっとも明解で分かりやすい例が「偏見」というやつである。なにかものを見るとき、すでに先行して存在している価値や判断から、完全に自由になるのは困難である。偏見という行為について考えれば、ことの次第はイメージしやすいだろう。】 p.122-123 素朴に外部世界があると仮定した場合に ソレを客観視することはできない という 哲学の入門書にはみんな書いてあるよーな話であって(笑) 第一 偏見は行為じゃないし そもそもこの文脈で使うのはヘンだ(笑) イメージできる「ことの次第」とは 個々人は文化的な拘束の下でしか 世界を感得できない ということなら もう少し分かりやすい言い方があるでしょ? 【便利な製品にかこまれて暮らすときーより正確にいえばー便利な製品にかこまれて暮らすより他なくなったとき、人間は、これまで哲学が考えてきたような近代的自我であることをやめた。人間はユーザーになったのである。「我思う、故に我あり」。これが、人間が人間たるゆえんであるとデカルトは言った。仮にその通りだとすると、二〇世紀、「我」は「ある」ことをやめた。なぜなら、「我」は「思」わなくなったからである。なにについて思わなくなったのか。それは、目の前にあり、もはや必要不可欠とされている便利な製品を手にして、その内部にある真のメカニズムについて思わなくなったのである。いや、思おうとしても、思えないのである。なぜなら、内部はとどのつまりブラックボックスだからだ。素人ユーザーには分からないからだ。】同書 p.156 まぁ このパラグラフをそのまま理解しろと言われても ご無体 なんだけど(笑) 例えば ファラデーの「ロウソクの科学」は ソコに起こっている物理現象を正確に知ることが如何に難しく また愉悦に満ちているかを教えている つまり「火をつければ明るく周囲を照らす」という便利な製品である「ロウソク」 その科学ですらブラックボックスみたいなモンなんだよ しかし デカルトが読んだら笑い死にしたいそうだ(笑) 【かつて冷気戦争の時代、他との差別化を図る戦略のなかから、陶器皿という比喩表現がひねりだされてきた。それは重要なできごとであった。しかし、ことはさらに昂進した。ことここに至って、陶磁器が発信する表象世界がふたたび援用されることになった。しかし、ここでの陶磁器のイメージ、とりわけ白い陶磁器イメージは、もはや、単なる余剰的な審美的できごととして、偶発的に選びとられているわけではない。冷蔵庫というものを構成すべき本質的特性として、はっきりと捉えられているのである。陶磁器という言葉、そして白さという言葉は、もはや修辞学であることをやめて、冷蔵庫の存在論になったのである。】同書 p.165 このパラグラフの前後で扱われているのは琺瑯に覆われた冷蔵庫(製品)である つまり 間違っても陶器(pottery)ではなく 磁器(porcelain)のイメージが引用されていなければおかしい(笑) ま それは良いとして ここで使われている「修辞学」「存在論」の意味が判らない(笑) このパラグラフを簡単に言い換えれば 以下 かつて琺瑯(白い磁器イメージさせるコピーが広告に使用された)は単に「製品を覆う物理特性に優れたモノ」として登場したのだが 「そのつるりとした表面と白さ」が大衆に深く浸透した結果 物理特性云々を超えた「冷蔵庫をディノートする記号になった」 ウンザリしてきたが もう一つパラグラフを引用する 【白い冷蔵庫の神話は、卓越化(ディスタンクシオンというルビ)の表象体系である。 卓越化というのは、もっぱら審美的判断を基準にして、ある社会集団を自分より「下位」に置くことによって、ひるがえって、自分を仮想的に「上位」に置くことを可能にする表象システムである。それは言いかえれば、それ自体、文化的権力闘争であり文化的階級闘争である。 〈中略〉 卓越化というのは、本来人間の想念が、ある特定の条件が整ったとき、ある特定の方向に起動しやすくなる、そんな差異化の表象メカニズムである。そして、それは二〇世紀初頭、マルクス主義的な意味における「階級」というものが、なかなか見えにくくなってきた状況下におかれたとき、「階級」という類概念にかわって、「個人」および「個人の趣味」という、これまた別種の類概念によって起動してきた、社会的差異化の表象システムだったのである。個人および個人の趣味というのは、「わたし」および「わたしの趣味」と言いかえてもよい。つまり、一九世紀にあった古典的階級闘争はすがたを変え、二〇世紀初頭、闘争の主体が「階級」という類概念から、「わたし」という類概念へと微分されていったのだ。これをまとめれば、卓越化とは、審美的判断をほとんど唯一の基準にした、階級闘争なき時代の階級闘争だといってよい。そして、そういった過程は、まさに一九二〇年代、大衆の時代とかさなったのである。大衆の時代、それは大量消費社会に後押しされ、階級という「大いなる物語」が見えにくくなり、わたしという「微分された散漫な物語」が立ち上がってきた時代でもあったからである。】同書 p.198-p.199 冗長 の実に見事な見本でありますな(笑) 簡単に言えば 古典的な階級概念からデラシネ化した二〇世紀の個人は「趣味の洗練」がその個々人をポジショニングする指標になった というダケの話だからね コトほど左様に 理由の不明な用語法と冗長さに満ちた本である 著者はテレビにも出ている学者らしいのだが 少なくともこの本を読んだ限りでは およそ頭脳明晰とはほど遠い印象を受ける(笑) そうそう 肝心の本の中身だが 簡単に言うと以下である ・電気という新しいソースは それ自体では理解されにくかった ・しかし ソレを用いた道具の利便性として理解される様になった ・そのことが背後にある「電気を流通させるシステム」を大衆の意識から隠蔽した ・電気仕掛けの便利な道具は庶民生活の円環的伝統や文化を断絶させた ・同時にメディアも変わった その広告によって新しい価値が大衆に浸透した ・その例証としての冷蔵庫の誕生から隆盛までを詳細に追う ・上記にまつわる「表象システム」「イデオロギー」とやら(著者の主張) 暇つぶしには良いと思うし モチロン知らないことが書いてはある しかし 特に読んで感心するような情報は アタシにはなかったな それから この著者は「多言を要しまい」というのが口癖の様である 多言だけで構成された著作からは 信じ難いが(笑)
by duchampped
| 2012-09-17 13:08
| 逍遙的読書
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