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![]() Bebop was about change, about evolution. ビバップの本質は変化であり、進展だ。 本書 p.631 マイルス・デイヴィスが死んだのは1991年9月28日だ。享年65歳は早すぎるというかもしれないが彼が残した音楽はおそらく誰も二度と到達できない高みに達しているし、そのめちゃめちゃな人生でやりまくったコトを考えれば、ふつーに「デキるオッサン」12ダース以上の濃い中身だ。 マイルスが高く評価したジミ・ヘンドリックスだって1966年の暮れからメジャーな活動を始めて4年も経たない1970年9月18日にロンドンで27歳で死んでしまった。たった4年間の活動で正規盤は4枚、死の直後に出た”cry of love”を入れても5枚だ。しかしその後、海賊版や残されたテープを漁って出されたCDの凄まじい数!おそらくジミもある種の天才だったワケで、彼以降はもちろん彼の様なギタリストはいない。(真似するヤツはイッパイいる) しかし、同じ様にある種の天才だったマイルスはそれでも最初の正規盤を1951年の”the new sounds”からカウントしても、その死の1991年までに数える気にもならない量のLP/CDを出しているし、ジミの様に死後も陸続と残された音源が表に出されている。 blue note/prestige debut-1961で27枚 columbia 1955-1975で24枚 columbia warner bros. 1981-1991で8枚 live albumとして37枚 正規盤の合計が96セット、中にはCD20枚組のボックスもあったりするのでCDの枚数は200枚を超える。もちろんこれ以外に膨大なbootleg群がある。 アタシは急速にマイルスの音楽、特に70年以降の電化マイルスに魅せられているのだが、何にそんなに惹かれるのかというと、とにかくこの「徹底的なワケのわからなさ」だ。もちろん神経症的に繊細なマイルスのトランペットもスゴイが、その圧倒的な緻密さのまま、あの凄まじくノイジーな混沌をコントロールしているマイルスは同じ人間とはとても思えない。大量のコークで神経を極限まで研ぎ澄ませてフラフラになるのもむべなるかな。就中ライブ録音が好きだ。プロデューサーのTeo Maceroが魔術の様な編集をした”live evil”や”live at fillmore east””dark magus”も良いがハサミの入っていないライブの混沌がやっぱり一回性の魔法なのだ。もちろんマイルスが周到に選んだミュージシャン達個々の演奏技術の上に成立しているのだが。特に長期引退直前の”agharta””pangaea”の2枚は延々と聴いていたくなる。エレクトリック・ギターの入らない”live at fillmore east”のそのまんま4枚セットも素晴らしい。 おそらくこの時期のマイルスは全面肯定か全否定か、どちらかしかないだろう。”kind of bleu”は確かに革命的で美しい音楽だが、ジャズ・バーのBGMにだって使える。しかし電化マイルスにはそーいった一切の心地よさは存在しない。言い換えれば中途半端さをマイルスが完璧に拒否している。しかし、一方ではJohn Coltrane末期の暑苦しさ、押しつけがましさとは無縁のすっきりした音楽なのだ。確かに大音量で聴かないと気持ちが悪い部分はあるが、実に滑らかで繊細だということが一旦分かると、ホントに中毒する。 People who don’t change will find themselves like folk musicians, playing in museums and local as a motherfuker. Because the music and the sound has gone international and there ain’t no sense in trying to go back into his mother’s womb. 変化を否定する人々は、フォークミュージシャンの様なもので、博物館で演奏するか、ある地域で限られた演奏をするしかなくなっている。音楽やサウンドはインターナショナルなものになってきているし、過去に戻ろうとすることには何の意味もない。人間が、母親の子宮に戻れないのと同じだ。 p.635 マイルスは愚直なまでに進歩主義者だ。少なくとも音楽的には「新しいモノは全て正しい」という信念が帝王マイルスを死ぬまで突き動かした。過去の素晴らしい音楽をマイルスにリクエストしても「レコードを聴け」と言われておしまいだ。 ”in a silent way”から”bitch’s brew”まで、ドラムが替わった以外はほぼ同じ面子で録音していて、あの凄まじい変化なのだ。しかもレコーディングのタイミングは半年しか違わない。同様にフィルモア・イーストのライブも、1970年3月7日のステージと6月17ー20のステージはサックスがWayne ShorterからSteve Grossmanに替わりKeith Jarrettの電子オルガンが加わったに過ぎないが同じバンドとは思えない程違う。特に後者は毎日録音が残っているがもちろんミュージシャンの体調や聴衆の反応もあるのだろうが微妙に演奏が進化しているのだ。そしてその間の4月10日に西海岸のフィルモア・ウェストでのステージも録音されている。こちらは、サックスがGrossmanに替わっているがKeithは参加していない。この時は参加したてのGrossmanがやや性急に吹きすぎている感じだし、マイルスのソロを含めて各自の演奏は奇妙な程にしっくりきていない。それが二ヶ月後のフィルモア・イーストでは悪夢の様に素晴らしいアンサンブルを奏でるのだから不思議だ。 I’ve never questioned whether I was right or wrong about thing like that. オレは自分が間違っているとか、正しいとか、一度だって他人に確かめたこともない。 p.637 マイルスは未来しか見ていないが、スタジオや現場で明確な確信をもって判断していた様だ。本人もその根拠を「オレには分かっている」としか言っていないが、Keith JarrettやChick Coreaは「20年後にマイルスに言われたコトの意味がようやく分かった」と述べている。もちろんマイルスの意図に沿って演奏しないミュージシャンは即刻クビだった。 マイルスのバンド出身者は多くがその後ジャズ界の大物になった。Wayne ShorterとJoe Zawinulは「天気予報」、John McLaughlinはBillly Cobhamと「マハビシュヌ・オーケストラ」、Chick CoreaはTony Williams、Airto Moreiraとそのカミさんで「リターン・トゥ・フォーエヴァー」、そしてHerbie Hancockは Bennie Maupinと「首狩族」、Keith JarrettはJack Dejohnetteと「スタンダーズ」。70年代の音楽シーンはマイルスよりも彼らがメインだったと言っても過言では無い。 実際にこの自叙伝にもHerbie Hancockの前座で演奏をした時にマイルスが不機嫌に怒鳴ったことが書かれている。もちろんその後はマイルスが謝って仲良くやった様だが。 とにかくハイスクール時代にジャズに出会ったこと。マイルスの実家が金持ちだったこと。1940-50年代の混沌と麻薬中毒、John Coltraneのこと。誰よりも敬愛するbird / Charles ParkerやDizzy Gillespieという二人のアイドルのこと。結婚した3人の女性とのこと、その他無数の女たちのこと。マイルスの怒濤の人生が淡々と語られている。そして麻薬中毒が原因で死んだ多くの素晴らしいプレイヤーたちのこと。 しかし、麻薬で死んだ多くの黒人プレイヤーを追い込んだのは黒人差別だったとマイルスは言う。この本にはアメリカ社会の黒人差別への怒りがそこかしこに頻出する。白人のピアニストだったBill Evansがマイルスのバンドを辞める原因の一つは彼が白人だということだった。マイルスは怒りを込めて言う。 Many blacks felt that since I had the top small group in jazz and was playing the most money that I should have a black piano player. Now , I don’t go for that kind of shit; I have always just wanted the best players in my group and I don’t care about whether they’re black, white, blue, red, or yellow. ジャズ界最高のバンドで、ギャラも最高なんだから、黒人のピアニストを雇うべきだなどと考えている(黒人)野郎がたくさんいたんだ。もちろん、オレはそんなことに構っちゃいない。いつだって最高のミュージシャンが欲しいだけだ。黒だろうが白だろうが、青でも赤でも黄でも、なんだって良いんだ。 p.357 ※()内はアタシの補足 マイルスの死の2年前にこの自叙伝はアメリカで出版された。翻訳が当時スイング・ジャーナルの編集長を辞した直後の中山康樹氏だ。日本における最良のマイルス専門家の一人である。あとがきによれば原著の間違いをかなり訂正したとのことだ。660ページにわたってマイルス節が延々と続くが、もちろん天才音楽家マイルスの言葉だから、感覚的にはあっという間に読めてしまう。出来ればマイルスのその時代の音楽を聴きながら読むと感慨もひとしおである。 Like Prince says when he’s talking about hitting the beat and getting to yhe music and the rhythm, I’m going to keep “getting up on the one,” brother, I’m just going to try to keep my music getting up on the one, getting up on the one every day I Play. Getting up on the one. Later. Miles the autobiography p.402 カッコ良すぎる!
by duchampped
| 2014-06-10 16:03
| 逍遙的読書
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