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![]() 2014年5月3日の憲法記念日に神戸市で行われた兵庫県憲法会議主催の集会で行った講演に加筆したものです。 p.3 立法府が機能不全に陥り、行政府が立法府の機能を代行する状態のことを「独裁」と言います。日本はいま民主制から独裁制に移行しつつある。有権者はそれをぼんやり見ている。ぼんやり見ているどころか、それを「好ましいことだ」と思っている人間が国民の半数近くに上っている。 独裁によって受益する見込みがある人たち(与党政治家、官僚、財界人)がこれを歓迎することは理解できます。でも独裁によって受益する可能性がまったく見込めない有権者たちがそれでもなお独裁を歓迎するのはどのような根拠によるのか。ワイマール共和国の末期、ヒトラーへの全権委任について国民投票では89.9%が賛成票を投じました。 p.4 このまま進めば、いずれどこかの国の歴史教科書に「このとき日本の有権者は国民の基本的人権を制約し、70年守ってきた平和主義を放棄しようとする政治勢力の独裁をなすところもなく傍観し、それどころか半数近くの国民はそれを歓迎したのである」と書かれることになるかもしれない。 p.5 この憲法集会は神戸市と教育委員会から後援を拒否されてしまいました。(中略)市と教育委員会が後援を拒否した理由は「憲法については改憲、護憲さまざまな政治的な意見があって、どちらかに与するわけにはいかない、護憲集会を後援すると自治体としての政治的中立性を損なうおそれがあるので後援はできない」というものでした。 p.13-15 「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と99条に明記されている。(中略)その公務員が日本国民であるわれわれが開催した護憲集会について「政治的中立性がない」と判断したということは、理論的には公務員でありながら憲法尊重擁護義務を拒絶したということになる。これはよく考えると憲政史上の一大事件なわけです。p.18 アメリカの独立宣言は「すべての人間は生まれながらにして平等であり、創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」という堂々たる宣言から始まります。でも奴隷制が廃されたのは南北戦争後です。独立宣言の発表から90年後です。人種間平等が法的に実現するまでにはそれからさらに100年を要しました。その意味ではアメリカ独立宣言もフランス革命の人権宣言も「空語」なのです。 同じ意味で、日本国憲法も「空語」です。問題はその空隙は事実の積み重ねによって充填しなければならないという強い責務の感覚がアメリカ人やフランス人にはあったが、日本人にはなかったということです。 なぜ、日本人には「空語」としての憲法を長い時間をかけて忍耐強く現実化するという動機づけが欠けていたのか。僕はその理由は日本の敗戦の様態の異常さにあると思っています。 p.24 東京裁判のときにあきらかになったように、戦争指導部の人々は口々に「私自身は開戦に反対であった」と証言しました。丸山真男が痛罵するように、彼らは自分たちが一体何のために戦争したのかを論理的な言葉で語ることができませんでした。「反対できる空気ではなかった」というような情緒的な言葉づかいをしただけです。(中略) 戦争目的が何だかわからなかったからです。「八紘一宇」とか「五族共和」とか「皇運扶翼」とかいう漢語のスローガンはありましたが、それが具体的に何を意味するのかを戦争指導部でさえ説明できたとは思いません。 P.32-33 先の戦争にあまりにひどい負け方をしたために、戦争が終わったあとに、敗戦責任を引き受けることのできる主体を立ち上げることができなかったという歴史的事実が憲法の本質的脆弱性の起源にあるというのが僕の仮説です。 P.36 日本国憲法の本質的脆弱性というのは、そこに書かれた言葉や概念が、大日本帝国の瓦礫と残骸の中から最後に残った「良きもの」だけを拾い集め、それを煉瓦を積むように積み上げて、戦後日本のあるべきかたちや進むべき方向を自分たちの手持ちの言葉で語ったものではないということです。 p.37 憲法九条そのものが仮にCHQのニューディーラーたちの作文であったとしても、あるいは日本を軍事的に無力化するというクールでドライなアメリカの戦略の帰結であったとしても、これを70年守り続けてきて、空文ではないものにしたのは、誰でもない日本国民です。 p.40 立憲主義というのは国民が憲法制定の主体であるという法擬制のことですが、この自民党改憲案の制定主体は日本国民ではありません。というのは、国民はこの憲法の尊重擁護義務を憲法で命じられているからです。 p.43 現に、自民党改憲案の前文はこういう言葉から始まります。 「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。」 驚くなかれ、憲法前文の最初の文は「受動態」で結ばれているのです。 p.43-44 起草者たちが国民を「制定主体が命じる義務を従順に履行する人たち」とみなしているという事情をはしなくも露呈してしまっています。 p.44 自民党改憲案がグロテスクで喜劇的なのは、彼らが革命をしてもいないのに革命に成功した主体しかできないことをしようとしているからです。 p.46 安倍首相は繰り返し、「総理大臣が最終決定者である」ということを強調していますが、それは「憲法や法律が想定していない局面において迅速に最適な政策決定を行う必要がある場合には、総理大臣に憲法や法律を超える権限を賦与するべきだ」というロジックに基づいています。(中略)なぜ日本人は自分たちを主権者に見立ててくれている民主制と立憲主義を打ち捨ててまで、総理大臣に気前よい権限委譲をしたい気分になっているのでしょう。(中略)最優先に問われるべきことは、その統治システムが「金儲けしやすい」かどうかであって、政体としての適否には副次的な重要性しかない。そう考えている人たちが国政をコントロールしている。 p.52 (シンガポールの)行政府は世襲、立法府は一党独裁ですから、トップダウンの指示ですべてが決められます。国内治安法という法律があり、令状なしでも反体制的な人間を逮捕拘禁できます。労働運動も学生運動もありませんし、反政府的なメディアもありません。政府の指令に反対する市民はどこにもいません。(中略)「日本のシンガポール化」というのは、このシンガポールの統治モデルに準拠して、日本のシステムを作り替えようという流れのことです。 第一には、立法府の機能を制約して、行政府の権限を増やしてゆくこと。これはもうすでに半ば以上成功していると言ってよいでしょう。特定秘密保護法と、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認のプロセスを見ると、もう国会はほとんど法案審議の場として機能していないことがわかります。官邸が出してくるどのような法案についても、国民の代表者たちによる適否の論理的な検証というような作業はほとんど行われていない。野党の顔を立てるために「すぐに通さない」「多少の文言改定を受けいれる」というようなテクニカルな作業をするために時間を潰しているだけで、実質的な「議論」は何も行われていない。 p.73-74 (自民党の)改憲案は基本的人権を制約することを熱心にめざしています。ですから「公共の福祉に反しないかぎり」という現行憲法の文言は「公益及び公の秩序に反しない限り」にシステマティックに置き換えられました。(中略)どのような法律よりも、政権よりも「公共の福祉」「人民の安寧」は上位におかれねばならない。これはローマ時代からの法観念の基礎です。 でも、「公益及び公の秩序」(中略)はもう人民とも国民とも関係がない。「公益」や「公の秩序」が何を意味するかを決定する権限はそのつどの政府にあります。政府はこの権限条件がある限り、憲法に規定してあるすべての国民の権利を制限し、自由を剥奪することができる。(中略)自民党の方々は「そういうこと」がしたいから改憲するのですから、ろくでもない計画ではありますけれど、話の筋は一応通っている。 p.81 ナショナリストであれば、保護貿易や「鎖国」や伝統文化の擁護を優先させてもよいはずなのに、ナショナリストが自由貿易論者であり、自民党改憲案にはしなくも露出したように「国籍離脱できる人間」を国民の理想に揚げ、伝統文化を愚弄している。なぜこのような畸形的な現象が起こるのか。(中略)とりあえず一つ確かなのは、国民国家の解体過程では、国民資源をグローバル企業の私有財産に付け替えるためにはナショナリズムが有効利用できるということです。 p.87 いずれ安倍政権は瓦解し、その政治的企ての犯罪性と愚かしさについて日本国民が恥辱の感覚とともに回想する日が必ず来るだろうと僕は確信しています。それくらいに僕は集団の長期的な叡智を信じています。でも、彼らが主役の舞台の幕が下りるまでに安倍晋三とその盟友たちがどれほどのものを破壊することになるのか、それを想像すると気鬱になります。僕たちにとりあえずできることは、彼らの破壊の手から「それだけには手を触れさせてはならないもの」を守り抜くことです。そのために全力を尽くすこと、それが僕たちの当面の任務であろうと思います。皆さんのご健闘を祈ります。 p.95
by duchampped
| 2014-12-08 01:52
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