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さて本日は2014年末年始青春18きっぷ阿房列車のハイライト。肥薩線に乗る。 指宿枕崎線6時10分発の鹿児島中央行に間に合うように5時50分に駅に来た。真っ暗。 こんな看板もあった。 乗車人員が2009年の0.2人/日から1人/日(2012年)に増加した薩摩塩屋駅。誰も乗ってこない。駅周囲に灯りは全くない。 こちらも周囲は真っ暗。2011年の乗車人員0.5人/日から1人/日(2012年)に倍加した松ヶ浦駅。 山を切り通した所に御領駅はある。漸く黎明の気配。乗車人員3人/日(2012年)。 明るくなってきた。開聞駅。 陽が昇る。レールが赤く照らされる。 山川駅を過ぎると海が見えてくる。見えているのは番所鼻という岬。 所在地の地名ではない様だが近くに二月田温泉があるらしい。夜は明けた。 薩摩今和泉を過ぎると鹿児島湾が右手の車窓に広がる。 生見駅「ぬくみ」とは読みにくいかもしれない。 8時51分鹿児島中央駅着。9分後に日豊本線の宮崎行に乗り隼人を目指す。 鹿児島中央の隣、竜ヶ水駅で列車交換。つばめ型特急とすれ違う。 車窓には桜島。 姶良(あいら)市という地名を知らなければ読めない。姶良駅。 9時43分に隼人到着。 待ち時間が49分あるので朝食を探す。駅名の横に島津家の家紋。 駅にはサブちゃん。 駅、駅周囲にコンビニも営業している飲食店も見当たらない。Aコープというスーパーがやっていたので弁当を買ってホームで食べる。目の前に弁当屋が来た、と思ったら鹿児島発の「はやとの風」が入線して弁当を積み込んで𠮷松に向かって去っていった。この列車なら100年前に作られた嘉例川、大隅横川の木造駅舎を観るために停車してくれるのだが。青春18きっぷでは特急に乗ればその区間の乗車券も重複して買わなければならない。 空腹なら滅多に「不味い」と感じないのだが、コープで買った弁当は厄災の様な味だった。 10:32肥薩線都城行と思しき列車が入線してきた。が、駅のアナウンスが聞き取れなかった。運転士に「この列車は都城に行くのですよね?」と訊いても「都城に行くには11:52発の列車に乗って下さい」と頓珍漢な答え。 「そうではなくて、𠮷松で降りるのですが、この列車自体は𠮷松から最終的には都城に行く列車ですよね」と再度訊いたが「都城には云々」という全く同じ答えしか返ってこない。どうやら日本語が不自由らしいので諦めて、外に列車も停まっていないので乗り込んだら10時32分に出発した。結果的に𠮷松駅で「この列車はこのまま吉都線経由で都城に向かいます」というアナウンスがあったのでやはり「都城行」で正しかったのだ。しかし運転士は何故頑なに「都城行」であることを認めなかったのだろうか、謎だ。 素直に「𠮷松に行きますか?」と訊けばよかったのかもしれない。(笑) 2013年の乗車人員1人/日という表木山駅。かつては駅舎があったという。元は列車交換の信号所だった。地名は本来「ひきやま」と読むのだが駅名をつける際に外部の人間が「ひょうきやま」と誤読したのがそのまま駅名になったらしい。 開業(1903年明治36年)当時の木造駅舎が残る嘉例川駅。普通列車は停車してもすぐに出発してしまうので下車して見学は出来ない。 何故か巨大なカボチャの置かれた植村駅。 植村には駅舎兼用の待合室に鐘がぶら下がっていた。 嘉例川と並んで開業(1903年明治36年)当時の木造駅舎が残る大隅横川駅。 第二次世界大戦時の機銃掃射の跡が残っている。 栗野駅で列車交換。 隼人から乗ってきたキハ40、8000番台なのでディーゼル・エンジンは強力なものに換装されている。 時間がたっぷりあったので記念撮影。井中逍遙氏。 アタシ。 11時42分𠮷松に到着。 ここからは11:49発、観光列車「しんぺい2号人吉行」に乗る。キハ140 2125だ。二輛編成。青春18きっぷでも自由席に乗ることが可能。 𠮷松ー真幸間の第二山神トンネルで終戦直後の1945年8月22日に悲惨な事故が起きた。上り人吉方面の列車は大勢の復員兵を乗せるために客車5両の他に代用として無蓋貨車8両を連結していた。タダでさえ過重な列車、D51が牽引し、さらにもう1輛のD51が後押しをしたが、整備の万端ではない機関車、粗悪な石炭という悪条件も重なり列車はトンネル内で坂を登り切れず立ち往生。代用の無蓋貨車には車内放送がなく、煙にむせかえった復員兵たちは真っ暗なトンネルを元来た方向に歩いて逃げ始めた。そこに登り切れないためにバックしてきた列車に轢かれ53名が死亡したのだ。写真のトンネルではないが。 まずは真幸駅に進行する。3本見えている一番奥がこの後矢岳方面に登って行く線路。2本目は側線で現在は使われていない様だ。3本目の右奥にこれから停車する真幸駅がある。その逆方向に進めばスイッチ・バックの引き込み線。 列車は真幸駅に停車。7分停車で運転士は進行方向と反対の運転台に移る。 乗客達は1911年(明治44年)開業当時から使われている駅舎を見学する。 1972年(昭和47年)の豪雨で土石流が発生。駅周囲の住宅57棟が押し流され5人が亡くなった。そのため駅周囲の全世帯が移転したため駅周辺は無人地帯になった。その時に流れ込んだ8トンの岩がホーム上にそのまま残されている。 列車から降りてホーム上の「幸せの鐘」を鳴らす乗客。乗車しているアテンダント(後ろ姿の女性)が写真を撮影するサービスをしていた。 発車間際に人のいなくなった「幸せの鐘」。元は貨物扱い駅には必ずあったという職員集合合図の鐘。 列車は既にスイッチ・バックに進入している。これから進行する後方の眺め。右手前に延びるのがやってきた吉松からの線路。右奥に今出発した真幸駅がある。今いる線路がスイッチ・バックの引き込み線部分。これから左奥の矢岳方面に向かう。既にポイントも切り替わり、信号も青だ。 矢岳に向かう右車窓に真幸駅が見える。 ホーム上の8トンの岩も見える。 日本三大車窓の一つとして有名な矢岳越え。しんぺいは停車して写真撮影を促す。残念ながら遠くは霞んで見えなかった。看板が親切だけど、邪魔。 矢岳第一トンネル南側坑口。残念ながら篇額が全部は見えない。トンネルが開通した1909年(明治42年)の鉄道院総裁後藤新平の揮毫。その名を冠した「しんぺい号」で通過する。トンネル名を書いた板に2096.17mという数字(肥薩線で最も長いトンネルである)も見える。 矢岳駅でも10分程停車する。 古い駅舎が良い雰囲気だ。 ホームにSL時代の名残。煙や煤で汚れた顔を洗った洗顔盤。 駅前にはSL展示館があってD51がボロボロの状態で保存されていた。 井中逍遙氏がアテンダントと記念撮影。 展示館の横にあった。見辛いが「鐵道院」(内閣鐵道院1908ー1920からは鉄道省)の文字が読み取れる。 矢岳駅全景。 いよいよループ線を下って大畑(おこば)駅に向かう。ループから大畑駅を観る。しんぺい2号はここでも撮影停車してくれる。 ループ線路脇にあった石碑。車輪が置いてあるので鉄道関係のもの。矢岳第一トンネルの建設は難工事で多数の犠牲者を出したという。 ループを抜けると右奥のスイッチバック引き込み線に向かう。左に下ってゆくのが人吉方面への線路。駅は引き込み線からポイントを左に通過した左手前。 スイッチバック引き込み線の行き止まり部分。 運転手さんが反対側の運転席に移る。これがこれから進行する方向。左奥がループからの線路。ポイントが切り替わり、右奥方向が大畑駅に向かう。その向こう、右に延びていくのが人吉方面への線路。 大畑駅でも7分停車。 大畑駅舎。 こちらにもホームに洗顔湧水盤。 人吉から大畑までD51蒸気機関車で1トンの石炭を燃やして登ってきたという。大量の水を機関車にも給水したのだ。往時の給水塔が残っている。 駅の正面に宮地嶽神社の参道があった。どうやらこの神社の境内が「夏目友人帳 参」というアニメの舞台になっていた様でネットで調べると写真がいっぱい出てくる。 スイッチ・バックの分かる写真。右手の手前側からループを降りてきた列車は右奥のスイッチ・バックに進入。方向転換して左手前の駅に這入ってくる。そして人吉方面に向かって左奥の線路を下ってゆく。 13時5分人吉に到着。隣に九州横断特急がいる。 人吉からはくま川鉄道(元はJR湯前線)が運行している。カラフルな車両。 日本で唯一の現役石造車庫。 今日は長い。これから八代まで行き、さらに三角線で三角まで行くのだ。乗り換えが55分もあったので駅の外に出た。 駅前広場にお城の時計台。 人吉発14時発肥薩線八代行に乗る。懐かしいキハ31型が1両でやってきた。1986年製だ。 球磨川に沿って八代まで下ってゆく。 右側からホーム・線路・ホーム・線路という奇妙な一勝地駅。これは島式ホームの内側線路を撤去したためだ。「勝ち」に関係するスポーツ選手などがこの駅の切符をお守りにするらしい。 球泉洞駅。1988年(昭和63年)までは「大坂間」という駅名だった。 白石駅。実はこの駅舎に1978年3月に来たことがある。当時大学生のアタシは新車のVW GOLF1で撮影旅行をしていて、この白石駅で写真を撮ったのだ。 駅舎は1908年(明治41年)の開業時のもの。 吉尾駅。1952年(昭和27年)肥薩線にキハ41000形気動車が導入されて新設された駅で、同時に開業した隣の海路駅のホームと良く似ている。 駅名標に何故か河童が描かれている。 海路駅。 1906年(明治39年)アメリカン・ブリッジ社が製造した球磨川第一橋梁にさしかかる。この鉄橋で肥薩線は球磨川を渡り、川の東側を走ることになる。 球磨川第一橋梁を渡った所に鎌瀬駅がある。この駅も吉尾、海路と同様に肥薩線にキハ41000系気動車が導入されて新設された。1952年(昭和27年)開業。2009年(平成21年)以来乗車人員は一桁。 葉木駅。仮乗降場として1942年(昭和17年)に開設された。1947年(昭和22年)駅に昇格。 久しぶりに広い駅に着いた。坂本駅で列車交換。昭和35年には1日約3000人の乗降客がいたという。近くに製紙工場がありその従業員が利用したらしい。2011年(平成23年)の乗降客は84人/日。 古い木造駅舎が良い。 頭上を九州自動車道が通る。しかし、その下の途中で終わっているのは何だ? 八代の一つ手前、段駅。かつての島式ホームの右側の線路が撤去されていて奇妙な眺め。手前右の小さな階段が駅の入口。 ここの駅名標にも釣りをする人が描かれている。 15:12八代に到着、1分程肥薩線の到着が遅れたために15:16発の鹿児島本線熊本行に慌てて乗り換えた。写真を撮る余裕がなかった。 15:40宇都駅で下車。ここで三角線に乗り換える。 三角線は16:15発で35分の乗り換え待ち。駅の外に出た。 駅前にコンビニがあった。朝、隼人でスーパーの弁当を食べて以来で流石に空腹なのでおにぎりを買って食べた。ふと横を見ると奇天烈な構えの「ギックリ腰」屋があった。 ホームに戻って三角線を待つ。八代駅行の815系電車が来た。 夕陽で光は赤い。 三角線が入線。キハ31ー12とキハ40ー8103の2輛編成。この組み合わせの連結運転は初めてだ。 キハ40ー8103の車内に貼られていた。昭和56年(1981年)製造、平成10年(1998年)に小倉で機関の換装を含めた改造が行われている。 住吉駅を過ぎると右車窓に島原湾が広がる。もう少し北に行けば有明海だ。干潟っぽい。 網田(おうだ)駅で臨時特急「A列車で行こう」とすれちがった。キハ185系ディーゼルカー。 赤瀬の漁港、夕景。 赤瀬駅は利用者が少ない秘教駅だ。 赤瀬駅からすぐにトンネルに這入り出たところが乗降客21人/日の石打ダム駅。周囲に人家のない駅で日が暮れる。 16:51、漸く終点の三角駅に到着。盲腸線であることが如実。 キレイな駅名標。「A列車で行こう」運行開始時に駅舎が改装されたからだろうか。 熊本側に連結されていたキハ40ー8103。 駅正面。何故か十字架。 駅の横には懐かしいシャッター。営業はしていない様だ。 歩いて7-8分のビジネスホテル三角へチェックイン。ここは今回最安値の一泊2500円。不安だったが建物は新しくないが、キレイに掃除が行き届いていた。荷物を置いて近所の居酒屋与作で一献。生きている鰺の刺身が美味かった。 本日は8時間1分乗車して、293.5kmを移動した。肥薩線で撮影に車内をウロチョロしたりして流石に少々草臥れた。明日は九州を離れる。 移動 指宿枕崎線 枕崎 ー 鹿児島中央 87.8km 非 鹿児島本線 鹿児島中央 ー 鹿児島 3.2km 日豊本線 鹿児島 ー 隼人 27.9km 肥薩線 隼人 ー 𠮷松 37.4km 非 しんぺい2号 11:49発 𠮷松 ー 人吉 35.0km 非 肥薩線 人吉 ー 八代 51.8km 非 鹿児島本線 八代 ー 宇土 24.8km 三角線 宇土 ー 三角 25.6km 非 小計 293.5km うち非電化 237.6km
by duchampped
| 2014-12-27 23:59
| 各駅的阿房列車
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