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![]() 村上春樹はデビュー以来好んで読んできた作家だ。ネズミが登場する初期の4部作はほぼ刊行直後に読み、その後も何度も繰り返し読んだ。『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985)もそういった作品だ。何故か分からないが定期的に読み返したくなる。 村上春樹の作品がなんで好きなのか、考えてみた。 文章の背景になっている時代、地理的な条件(アタシは関西生まれの東京育ちで、母の実家のあった西宮で多くの時間を過ごしている。東京の西側に住み『ピンボール』の舞台になったゴルフ場、野川公園は実家から徒歩20分の場所にある)などもあるが、何よりも主人公たちの「自己意識」の在り方が安心できるからだと思う。 誰もが唯識的に自己を反復的に対象化し参照することで日常を送っている。春樹作品の主人公たちの内的独白のスタイルはとても静的で安定していて非現実的に落ち着くのだ。「他人との距離のとり方」と言い換えれば表面的で分かり易いかもしれないが、何と云うか「内部での自己意識の参照時間の設定に関する意志」である様な気がする。分かり難いが説明が難しい。 ところで、アタシは失業してヨーロッパの美術館を独りでふらふら観て歩いていた時期に日本では『IQ84』(2009ー2010)が刊行された。それを帰国後に2冊読んだ。しかし、残りは読み終えていない。たぶん前述の様な意識を安定させる機能が作品から無くなってしまったからだ。 短編集も『中国行きのスロウ・ボート』(1983)は社会人になった直後に刊行されたので購入した書店も読んだ場所も記憶している。 しかし、やはり同じ理由で『東京奇譚集』(2005)は好きになれない。 そしてスゴク久しぶりに『女のいない男たち』を手にとった。 御本人も書いている様にアーネスト・ヘミングウェイに同名の短編がある。むしろ「男だけの世界」(新潮文庫所収)の方が通称かもしれないが。アタシはあまりアメリカ文学を読んでいない。ヘミングウェイも例外ではない。だからその短編は読んでいない。 たぶん、猫よりも犬の方が好きだからだ。 この短編集ではお馴染みの「自己意識の設定を冷却し慰撫する機能」が復活している。敢えて初期の古い文体で書かれているせいかもしれない。 アタシには重要なことだが、あくまで個人的な感じ方の問題だ。この点ではストーリーはあまり関係ない。 そしてこの10年ばかり作品から払底していた「古いタイプのユーモア」がいささか不器用に、しかしそれなりの上品さで復活している。携帯電話が世の中を支配する前の、Popeyeやブルータスに掲載されていた牧歌的な短編小説を読んでいるみたいで、読んでいて身体のどこかが少し暖かくなる。 「イエスタデイ」という作品は『ノルウェイの森』の自殺した友人とその恋人だった直子のパラフレーズの様だ。しかし概ね嘘をつく女たちのお話だ。恋人に隠れて男と寝る女たち。春樹作品に登場する妻たちは多くの場合「男をつくり」「出て行く」。初期の長編小説は残された「女のいない男」が主人公として「いなくなった女」の代替物を希求する物語だった様に思う。 失われ、損なわれた時間を当て所なく求めるというラブソング。 いまだに『ノルウェイの森』をラヴ・ストーリーだと言う人がいるのかもしれないが、あの作品に愛はさほど重要な要素ではない。同様に、女のいない男たちが求めているのは愛ではなく、正しい理由なのだ。
by duchampped
| 2015-05-19 00:22
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