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![]() 読めば読むほど本居宣長が「漢意(からごころ)」を排除し「皇大御国」(すめらおほみくに)は「皇大御国」であるが故に偉大なのだ、と「自己(日本)の神聖化」をトートロジックに反復することが馬鹿馬鹿しく感じられて仕方が無い。著者がそのバカバカしさを俎上にあげているからなのだが。宣長の論理性はほとんど破綻している。言うならば盲目的な国粋主義者本居宣長は自民党アヘ政権を支持するネトウヨと変わるところがない。 宣長は京都で勉学の後34歳で松坂に帰り賀茂の真淵に入門する。宣長は既に当時の神道が間違っていると考えていた。そして「漢意を排し古へのまことの意を尋ねる」という思いに応える師を見いだしたのである。斯くして「古へと新たにかかわる古学」として「国学」が18世紀中期に成立する。 しかし真淵の捉えようとした「古へのこころ」から宣長は逸脱してゆく。「神典(かみのふみ)」の註解において宣長は学問というよりは宗教的意識に傾いてゆくのだ。 その基底には荻生徂徠の考え、聖人の唱えた「詩書礼楽」は中華の侏漓鴃舌(異人の用いる意味不明の言葉)であってソレを日本語に置き換えたモノはオリジナルとは異なるという解釈がある。宣長は更にこれを徹底して「異国(あだしくに)のさだ」であり「さかしく言痛(こちた)き」心の在り方として否定する。 宣長の「神聖な皇国」は常に「異国」ではない「何か」としてのみ措定される。皇国は万国にすぐれた国であるゆえ、この国の声音言語は正しいと宣長は主張する。その正しさの根拠は「皇国の正しさ」にあるという全くのトートロジーなのである。 『古事記』とは、(宣長によれば)天武天皇が帝紀・旧辞をみずから誦み、そして阿礼に誦み習わせた古辞のままなるあり方を、太安万侶がそれを最大に尊重しつつ漢字・漢文をもって表記したものだというのである。 p.79 しかも宣長はわが国に漢字が導入され、人々がそれに通達しえたのは「当時既に此方にて読べき音も訓も定ま」っていたからだという奇妙奇天烈な結論を出す。「皇国の正しい声音とそれに基づく言語が漢字受容以前に先在しているという確信」が宣長をして「敷島のやまとことば」を古事記から復元できるという奇矯な幻想に導いたのだ。 そして宣長は中華由来の言葉・観念を徹底的に排除する為に異様な漢字の読みと意味を主張する。例えば「天地(あめつち)の初めの時、」という古事記の冒頭、この「あめつち」という「やまとことば」が先にあり「天」という漢字は「てん」と読むものではなく「やまとことばのあめ」というものである。しかもその「天(あめ)」という言葉の意味は分からないと宣長は主張するのだ。 他にも「神」「命」などの文字についての宣長独自の牽強付会が横行する。とにかく宣長は中華から渡来した漢字の価値を徹底的に否定したくて仕方が無いのである。しかし、そりゃ、どだい、無理なハナシだ。1000年以上前の事実は未詳だけれど、宣長が自分にとって都合の良い解釈だけを押しつけるのが、実に胡乱だ。 『古事記伝』の漢字の訓み=読みへの過剰な意識が、実は宣長による『古事記』のテクスト理解の偏りと、テクストに内在しての想像的な理解への抑圧をもたらしていることを示すものである。 p.121 そして林羅山以降の神に関する言説は儒家的文脈に支えられているから宣長はこれを否定しさる。そして正しい「神の道」とは「古事記」に見出す天つ神を始原とする皇統と、そこに伝えられる道だと言う。しかし「道」の意をとらえて言う言説は「みな仏と漢との意」であるが故に不正な言説と見なされる。 宣長は既存の神道を全て「わたくしごと」を述べる憶説であるとし、正しさとは『神典のまま』に記紀をを(自分に従って)読むことであるとする。 この宣長のことばは、「神典のまま」という言説が、すでに、「皇大御国」の自己言及的な言説と同様の、強固なイデオロギー性をもって主張されるものであることを示している。 p.157 中華の伝統的宇宙論を構成する陰陽五行思想、天人相関思想に従って長らく書紀のテクスト解釈を行ってきた神道教説は宣長によって悉く「強ひ言」として非難される。とにかく宣長の主張以外は「憶説」「私事(わたくしごと)」として斥けられるのである。 しかし、このネトウヨ然とした宣長に敢然と噛みついた同時代人が国学者上田秋成だった。うーん、アタシの秋成好きはこんなところにも起因しているのだな。 やまとだましいと云ふことをとかくいふよ。どこの国でも其の国のたましいが国の臭気也。おのれが像の上に書きしとぞ、「敷嶋のやまと心の道とへば朝日にてらすやまざくら花」とはいかにいかに。おのが像の上には、尊大のおや玉也。 上田秋成『胆大小心録』 宣長の尊大さを臭気芬々だと、剪枝畸人・洛外半狂人と自嘲した秋成だからこそ痛罵しているのである。地球儀を見よ、大海に浮かぶ小笹の様な日本国が世界に先駆けて太陽(天照大神)を生み出した等と云えば世界中の先進国から嘲笑されるだろうと秋成は宣長の夜郎自大を嘲笑した。詳しくは秋成全集巻一を参照。
by duchampped
| 2015-08-14 18:52
| 逍遙的読書
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