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さて青春18きっぷ、初秋とは言えクソ暑い毎日。今日は未乗の牟岐線と阿佐海岸鉄道を乗り継いで甲浦を目指す。 徳島駅、5:47発牟岐線海部行が入線してきた。JR四国1500形気動車だ。 2輛編成の海部側(先頭車)は昨日と同様にJR四国1200形気動車。 阿南駅で列車交換。 駅名標。 辺川駅。この駅は地元の陳情で1942年(昭和17年)に開業したが、既に1936年(昭和11年)に阿波橘駅が存在したため隣の集落名が駅名になった。ややっこしいのはこの阿波橘駅が開業する際に現在の津乃峰地区と橘地区のどちらに駅を設置するかでもめ、位置は津乃峰、駅名は橘で決着したという経緯があったことだ。つまり橘駅は津乃峰に、辺川駅が橘にあるという次第。 牟岐線の由来になった牟岐駅に到着。 ここで後方の一輛を切り離して終点の海部を目指す。 駅正面。1942年(昭和17年)開業当時の木造駅舎が使われている。 駅舎内は懐かしい雰囲気だ。有人なのも温かみを感じさせる。 あらあら、昨日通った徳島線学駅の切符が合格祈願のお守りなのね。 野口雨情の石碑。阿波の牟岐町南に向いて 春を待たずに豆が咲く。 構内にはキハ40が留まっていた。 浅川駅。 8:05、牟岐線終点の海部駅に到着。 海部駅手前の「町内(まちうち)トンネル」は元は山に掘られた普通のトンネルだったそうだが、宅地開発などで山自体が無くなりトンネルの構造物だけが残ったという珍しいトンネル。 ここからは向かいの阿佐海岸鉄道甲浦行に乗り換える。 阿佐海岸鉄道の駅名標。 この車両、ASA-300形は事故廃車になったASA201の後継として2008年に廃止された高千穂鉄道から無償譲渡されたもの。当初は高千穂鉄道の塗装のまま運用されていたが2010年3月に現在の塗装になっている。 車内の表示。 車内。 阿佐海岸鉄道はたった8.5kmの路線距離しかない。駅数はこの海部と中間駅の宍喰が徳島県、終点の甲浦が高知県と3つ。日本のJR以外の鉄道で最も利用者の少ない路線だ。経営を支援する自治体も限界と言われ、廃止が囁かれている。海部駅を離れた車両は2駅先の終点に向かう。 短いトンネルが続く。 宍喰、駅名標。 後方窓から宍喰駅、トンネルの向こうは海部。 甲浦駅に近づく。盲腸線の終点の雰囲気がたまらない。 あら、誰かが写真を撮っている様だ。 駅名標。 列車と終点。 列車の横を通ってホームから階段を降りる。 右側の階段の上にホームがあるが、駅舎は地上にある。 駅舎内でおばちゃんが売店をやっている。そこで売られていた「どん兵衛」にお湯を貰って食べた。これが昼食。 駅舎裏からホームを見上げる。 9:59発の高知東部交通バス奈半利行が来た。室戸岬を経て風光明媚な海沿いの国道55号を走る。まずは白浜海水浴場が見えた。 流石に太平洋、なかなか波が荒い。 室戸岬に近づく。 室戸岬。 漁港がある。 海嘯(つなみ)とは難しい字を使っている。昭和9年、室戸台風の海嘯が襲った場所ということか。 美しい太平洋を眺めながらバスは国道55号線を走る。 ほぼ定刻通り11:48、バスは土佐くろしお鉄道なはり・ごめん線の奈半利駅に到着。確かに渋滞や混雑は無かったけれど、ほぼ60kmを1時間48分走って、停留所のたくさんある路線バスで時間通りというのは見事だと思う。運転手さん、凄い! 奈半利駅。11:50を指す時計。 奈半利駅、ホームは高架の上にある。こちらが終点。1922年(大正11年)に制定された改正鉄道敷設法には「高知県後免ヨリ安芸、徳島県日和佐ヲ経テ古庄附近ニ至ル鉄道」とあった、つまり、今朝バスに乗り継いだ阿佐海岸鉄道の終点甲浦駅からここまで、遥かに見える山を回って線路が作らることが法律で決まっていたということだ。もちろんその法律は失効している。 駅名標。 路線図。一つ一つの駅にやなせたかしデザインのキャラクターが設定されている。 後免方面を観る。奈半利川にかかる鉄橋が見える。 後免行しんたろう1号になる土佐くろしお鉄道9640形(9640-1S)が青く輝きながら近づいて来る。 これは土佐くろしお鉄道・阿佐線(ごめん・なはり線)用に新造された10輛の気動車(9640形1-11)のうちのオープンデッキを備えた2輛で、こちらの1-Sはブルーを基調にしている。クジラをイメージしたというのが分かる。側面にはやなせたかしキャラが描かれている。もう1輛の2Sはグリーン基調。 この土佐くろしお鉄道9640形-1Sと2Sは海側にオープンデッキの通路が設けられている。 左側が海側のオープンデッキ通路、だから車内は若干狭い。 12:05、しんたろう1号は後免にむけて出発進行。下山駅には駅キャラの「しもやまちどりちゃん」がいる。 安芸駅に到着。 阿佐線用車両がいっぱいいる。9640-5 9640-2Sと9640-6 ご覧の様に、ここまで乗って来たしんたろう1号は安芸駅に残っている。しんたろう1号は後免行だが12:49発、実はその前に12:35発の高知行快速というのがあって、そちらに乗り換えて後免に向かったのである。 13:07、後免駅に到着、乗って来た快速列車はこのまま高知に向かう。車両は唯一新潟トランシス製の9640-11。ちなみに1-S、2-Sは富士重工業製、3-10は新潟トランシスになる前の新潟鐵工所製。 とは言っても14:02発の土讃線阿波池田行までは55分もある。別にしんたろう1号にそのまま乗って来ても13:43には後免に到着したのだ。ホームから見る、右側が土佐くろしお鉄道安芸・奈半利方面の高架に登って行く。左はJR土讃線の佃、阿波池田方面。 土佐くろしお鉄道後免駅キャラクター。 駅キャラがデカイのがわかる。 後免駅の外に出てみる。威風堂堂って感じ。 ちゃんと土佐くろしお鉄道の表記もある。 リョーマの休日。(笑) 土讃線のホームにゆく跨線橋から眺めていると特急南風が見えた。 跨線橋からの引き画。 土佐くろしお鉄道の車両が安芸方面に出発。 おや、見かけない重機が線路上に。 ホームに降りてみると。かわいい小型ユンボ。 土佐くろしお鉄道ホームには先ほど乗り換えた9640-1S しんたろう1号が着いてる。 JR土讃線高知行が来た。キハ1000形。こちらにもやなせキャラ。 土佐くろしお鉄道には9640-5が到着。 14:02発の阿波池田行が来て慌てて乗った。スイッチバックの新改駅の前に土佐山田駅で列車交換。 土佐山田駅正面。 すれちがったのは高知行キハ32。向こう側のキハ1000形は駐まっているのかな。 これが慌てて乗った安房池田行キハ54。いいなぁ、キハ32やキハ54に乗るのは四国に来る楽しみだ。 この土佐山田(標高43m)から新改(標高274m)のスイッチ・バックを挟んでJR四国で最も標高の高い繁藤(標高347m)まで一気に駆け上がるのだ。SL時代はさぞかし「しんどい」区間だっただろう。 いよいよ新改。まずは進行方向左側に進んでホームに停車。前方は行き止まり。駅の標高は274m。土佐山田から7.4kmで231mを登ってきた。1km当たり31mという数字ではSLが登坂出来ない。謎だ。 駅名標。窓ガラスが汚いです。戦時中の1944年(昭和19年)新改は本土決戦の後方連絡線の要所として四国軍管区司令部が置かれたとウィキペディアには書いてあるが、本当だろうか。 運転士さんは反対側の運転台に移動。左前方の退避線に入ります。右前方はやってきた後免方面。scissors crossingだ。 待避線も行き止まり。 再び運転士さんは再び反対側の元居た阿波池田方面の運転台に戻って、今度は左前方のホームでは無く右前方の阿波池田方面に向かいます。 新改の隣、繁藤駅。駅名標。標高347m。 この辺りもあまり人家を見かけない。角茂谷駅。 鉄橋上にある土佐北川駅に到着。下り交換列車が見える。 さらにすれ違う列車を待つ。駅名標。この駅は1986年3月に防災のため線路が付け替えられた際にこの場書に移転した。 今通って来た高知方面を振り返る。赤信号の左側、切り通しの先の辺りに1986年(昭和61年)までの古い土佐北川駅があった。古い写真や航空写真からの推測だが。 ホームから穴内川を眺めると対岸に不自然なコンクリート法面がある。この法面の上、木が生い茂っている部分に付け替えられた(廃止された)旧線が通っていたとホームから一緒に景色を見ていた男性が教えてくれた。 橋を渡るとすぐトンネル。この先が阿波池田方面。 程なく特急南風が通過。あら珍しいN2000系。 土佐北川をあとにする。線路はこの後すぐに単線になる。 大歩危。 小歩危。 キハ54にはトイレ設備が無い。小歩危でトイレ休憩。 吉野川。 佃を過ぎると徳島線は右に、土讃線は左に別れる。 さて、昨日は下りで停車したスイッチバックの坪尻、今日は上りなので通過する。待避線が右側に見えてきた。 左奥のホームに下り列車が停車している。昨日はあの車両の中からこの通過する上り列車を見たのだ。 あっという間に通過して再びトンネルへ。 16:29 阿波池田着。3分の乗り継ぎで土讃線琴平行に。17:18琴平着。9分の乗り継ぎ時間。駅正面を撮りに出る。 振り返る。 この後、琴平17:27発サンポート髙松行で坂出に17:40着。18:24発のマリンライナーで岡山。19:16発の山陽本線姫路行に乗って20:40に姫路着。ホテルにチェックインして飲みに行きました。 明日は帰京します。 本日の鉄路 牟岐線 徳島ー海部 79.3km 阿佐海岸鉄道 海部ー甲浦 8.5km ※甲浦から奈半利まではバス 土佐くろしお鉄道 奈半利ー後免 42.7km 土讃線 後免ー多度津 116.2km 予讃線 多度津ー坂出 11.4km 瀬戸大橋線 坂出ー岡山 50.5km 山陽本線 岡山ー姫路 88.6km 小計 397.2km うち非電化 246.7km 明日は名古屋でヨコイのスパゲッティーを食べて帰るだけだ。
by duchampped
| 2014-09-09 11:00
| 各駅的阿房列車
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