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昨夜の楽しいお酒が残っている。脳みそがブニュブニュで気持ち悪い。しかし旅は続く。 京丹後鉄道宮舞線宮豊線に乗る。2015年4月鉄道運行事業が北近畿タンゴ鉄道からWILLER TRAINS(株)に移譲されて以降、宮津線(西舞鶴ー豊岡)は宮舞線(西舞鶴ー宮津)と宮豊線(宮津ー豊岡)になった。宮福線(宮津ー福知山)はそのまま。 昨夕西舞鶴駅に到着した時にも駐まっていた京丹後鉄道KTR8000形2両編成が並んで駐まっている。6:17発豊岡行は左側のKTR8000。天橋立までは640円。 走り出したが、乗客はアタシだけ。舞鶴線に沿って南に向かう。 前方視界は良好。 トンネルだ。 東雲。 由良川を渡る。東岸海側。 上流側を見る。 由良川を渡ると丹後由良。由良という駅は山陰本線にある。 宮津湾。 6:55、天橋立に到着。 KTR700形気動車、西舞鶴行と交換。 駅名標。 53分後の豊岡行に乗るので駅周辺を散歩する。立派な駅舎正面。 看板。 昨夜の居酒屋で大将から「そんな時間に行っても何にもやっていないし、天橋立を眺める方法が徒歩で高い場所に登らなければ見えない」と言われていたので、大人しく海の方へ歩く。 知恩寺というお寺の西側に駐車場があって、キャンピングカーも駐まっていた。阿蘇海越しに対岸。天橋立は右に小さく見えるのみ。 正面にカメラを向けると天橋立方面は全く見えない。 猛禽類が飛んでいた。 漁師なのか? 海に突き出した桟橋の痕跡。 無闇に暑いので駅に戻る。KTR(北近畿タンゴ鉄道)のロゴを丹鉄に張り替えたことが歴然。 駅前には昭和風のお店。 駅舎には燕が巣を作っている。顔を出してキョロキョロしていた、ヒナ? 天橋立から豊岡までは1190円。自販機で買う。 駅の自販機で買ったお茶。100円と安かった。中学時代に飲んだ懐かしいチェリオ・ブランド。 ホームに出たら昨夕見たKTR-703が西舞鶴行で通ってゆく。 7:48の豊岡行が到着。前面にカニがラッピングされている。 先ほど阿蘇海越しに見えたのがこの町の一部。与謝野。 西舞鶴行とすれ違う。 一瞬「人間がに?!」と驚いた。 KTR700形西舞鶴行。 網野で交換待ち。 これが乗っている豊岡行、KTR700-709。 運転室。 竜宮にいちばん近い・・・ 709の後側はこの様なラッピング。 長い駅名、夕日ヶ浦木津温泉。1931年(昭和6年)開業時は「丹後木津(たんごきづ)」、1972年(昭和47年)読み仮名を「たんごきつ」に改称。1990年(平成2年)北近畿タンゴ鉄道への移管と同時に「木津温泉」に改称。2015年京都丹後鉄道宮豊線の駅になり「夕日ヶ浦木津温泉」に改称。経緯も長い。 小天橋でKTR8000形とすれ違う。 コウノトリの郷。開業時(1929年昭和4年)は「但馬三江」、2009年「コウノトリの郷」という愛称が付き、2015年4月京都丹後鉄道になって「コウノトリの郷」が駅名になった。 9:19、豊岡着。 京丹後鉄道はこの様になっている。 外に出て一服。 JRの古い駅名標。 10:12、山陰本線浜坂行に乗る。良いねぇ、大好きなキハ40系(キハ47)。 山陰本線は京都ー城崎温泉は電化されている。しかし、城崎温泉から浜坂を通って伯耆大山までは非電化なのだ。だからキハ47。 伯耆大山から西出雲までは電化されているが、そこから終点の下関までは非電化だ。終点は厳密には幡生だが全ての列車が下関まで運転される。 東北本線がアタシの好まない借金増加東北新幹線の延伸で三セクのIGRいわて銀河鉄道、青い森鉄道に転換されたのでそれまで日本一長い739.2kmの営業キロだったものが東京ー盛岡の535.3kmになった。 その結果、山陰本線の営業キロが673.8kmと日本一長くなった。空気を運ぶためにの新幹線延伸は北海道にまで及び、さらに在来線を三セク化し、ゆくゆくは廃線になる。全くアホな話だ。 輪島までの鉄道が廃止されて、利便性を得たユーザーは皆無だ。特にクルマ社会に縁のない高校生までの若年層と高齢者には何の益もない。 どうしても空港が作りたかった政治屋と土建屋が結託して早々に線路を剥がした。不便さに気付いた沿線住民が鉄道を復活させることを恐れたのだろう。 自治体は新幹線が出来れば街が活性化するという、既にウソだと判っている理由にすがりつく。周辺自治体の経済を圧迫し、結果的に国民の税負担で営業する定期便の飛ばない地方空港と同じことになる。役人と政治屋は国民の税金なんてドブに捨てるか自分たちのフトコロに入れるものとしか思っていないのだから。 ってなコトで不快感を表明していると鎧。好きな駅名の一つ。 鎧は2008年(平成20年)のダイヤ改正で海側の旧1番ホームを使わない設定になり、2012年にポイントが撤去された。今はレールも撤去されている。 2010年平成22年新しい橋梁に付け替えられた餘部橋梁を渡る。1912年明治45年(大正元年)に餘部橋梁(初代)が開通して以来餘部駅が出来る1959年昭和34年まで、45年以上も住民は旧橋梁を渡りこのトンネルを越えて隣の鎧まで歩いていったという。特に1955年に余部村が香住町に統合され中学校も統合された結果、余部の中学生は4年後に余部益駅が開業するまで、強風の吹く中、高さ41mの鉄橋を渡り、更にトンネルを抜けて通学したのだ。想像を絶する。 駅名標。 夏休みだからか、観光客がたくさんいる。 11:18に浜坂に着いて、2分で鳥取行に乗り換えたので写真がない。 居組。この駅を出ると兵庫県から鳥取県になる。かつては単式ホームの他に島式ホーム2線があったが撤去されている。乗車人員が10人/日程度なので致し方ないか。駅舎は古そうだ。 これは使われなくなった島式ホームの駅名標。隣駅を示す矢印が哀しい。 12:07鳥取着、4分後に鳥取ライナー米子行に乗り換える。忙しい。由良駅で各駅停車を抜く。 浦安が鳥取にある。何か違和感を感じるなぁ。 13:43、曽遊の地、米子に到着。昨年の12月30日に出雲大社を観光した後当地に投宿した。その時の居酒屋が安くて美味しかったのだが本日はトランジット。 まずは駅のそば屋で遅い昼食。吾左衞門鮓、ここではこれまでに何度か食べている。 天玉そばに名物の鯖鮓が二切がプラス300円。これが美味しい。 駅から出て一服。左下に河馬の彫刻が写っている。 正面。 山陰鉄道発祥の地記念碑。何度観ても奇妙だ。 駅に戻る。構内にプラ・レールの展示。サンライズ出雲が走っている。 さて、ここから益田までが4時間と長い。豊岡から米子までが3時間25分だった。さらに本日は長門市まで行く。 14:48、アクアライナー益田行が入線。まんが王国とっとり、コナンのラッピング。キハ126形。 米子は鳥取県だが、この安来から島根県。ドジョウすくい、発祥の地だ。 ちょっと気になる駅名。駅の所在地が島根県安来市荒島町。 揖屋。「いや」とは知らなければ読めないかも。 揖屋は停車駅ではない。しかし国鉄381系電車「ゆったりやくも」塗装と交換。 明治天皇を追って殉死した乃吾希典を思い出してしまう。国鉄時代に最初の女性駅長が誕生した駅。 車窓に宍道湖が見える。 宍道湖に立つ奇妙な棒は何なのだろう? この駅名も好きだ。来待。駅所在地の地名だが、ちょっと詩的な気分。列車の窓が少々汚れている。 宍道で先刻と同じ「ゆったりやくも」とすれ違う。右奥に木次線のキハ120が見える。 西出雲で電化区間は終わる。この駅名も印象的。 温泉津で「ゆのつ」と読ませる。駅所在の地名だが難読。 江津の手前で江の川を渡る。国道9号線の橋梁が見える。新江川橋、二重トラス橋で上段に国道9号のバイパスが通っている。 山陰本線の江の川鉄橋。松江側にはトラスの無い部分があって上の写真が撮影出来た。 波子。駅所在地の地名だが「はし」ではなく「なみこ」と読みたくなる。 どこかしら山陰という雰囲気の駅名。益田が近くなってきた。周布(すふ)。 岡見を過ぎると山陰本線は南下する。つまり日本海に沈む夕陽が進行右側の車窓に映る。 線路が高い位置を走る。ふだん海を見ない日常なのでついつい見とれてしまう。 微妙に夕陽になりつつあるが。 鎌手。魚待岬、行ってみたくなる。 かなり赤くなってきた。 18:50、益田に到着。4時間揺られたコナン号。 乗り継ぎに19分あるので駅前で一服。夕暮れ、逢魔ヶ時。 駅構内にはキハ40系がたくさんいて嬉しい。何と言ってもJR西日本は257輛ものキハ40系を持っているのだ。 19:09発山陰本線長門市行が入線。大好きなキハ40。しかも広島色。 駅から有名なみやこ編物のビルが見える。 すっかり薄暮の車内。 日本海も薄暮。 20:56、長門市に到着。ここで昨年12月29日に長門市駅で2時間近く乗り継ぎ待ちをしたコトを思いだした。駅前に何も飲食店がなくて、歩いてホットモットまで弁当を買いに行ったのだった。 案の定、駅前は暗く静まりかえり客待ちのタクシーだけが明るい。長門セントラルホテルは駅の南側。奇妙な跨線橋を渡る。人の気配がない。 南口側はほとんど街灯がなく真っ暗・・・。プリントアウトした地図を用意してきたが、それでもホテルに着くまでに迷った。 さて、夕食はどうする。 フロントのオジサンに訊くと徒歩10〜15分で国道沿いにあるファミレスがオススメだと言う。近所にはカラオケ屋だけが煌々と明るいがそこでの食事は奨めないとのこと。何軒かある徒歩圏内の居酒屋も高くて不味いと。しかしアタシはファミレスまで往復する気になれない。コンビニは徒歩30分。往復1時間は辛い。 それで再び暗闇の中を駅に戻り、怪しい跨線橋を渡り駅前のタクシーでコンビニまで行き、待っていてもらう。買い物をしてホテルに戻る運賃が1300円程かかった。高いコンビニの弁当だ。 気が滅入るが部屋はごくふつー。ウォシュレットじゃないのが困る。とにかく強烈な車内冷房で冷え切った身体を風呂に浸かって暖め、コンビニで買ってきた麦酒と弁当で夕餉を済ませて寝た。 明日は九州を目指す。宿泊地の下関では有人の井の中逍遙氏が合流する予定だ。 本日の移動 丹鉄宮舞・宮豊線 西舞鶴 ー 豊岡 83.6km 非電化 山陰本線 豊岡 ー 長門市 451.2km 非電化 小計 534.8km 非電化
by duchampped
| 2015-08-08 11:49
| 各駅的阿房列車
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