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![]() 作家の阿川弘之さんは今年の夏、亡くなった。享年94歳、アタシの母方の祖父も94歳で亡くなったのだが風貌がどこかしら、ホンの少しだけ似ているのだ。祖父は帝大も出ていないし軍人でもないタダの商人だった。年齢的には阿川さんは亡父の2歳年上だが、何故か亡父の数千冊あった書架に阿川弘之の名前はなかった。そー言えば志賀直哉もなかった。残念ながら父の生前に理由を聞いた憶えがない。 アタシにとって阿川さんは『きかんしゃ やえもん』を書いた人だ。弟が生まれた年に出版された本だ。岡部冬彦さんの描いた”やえもん”はその四半世紀後に登場したトーマスと似ているので驚くが顔が同じ位置なのでそういうものかもしれない。弟の書架には今も古い岩波の”やえもん”がある。 岩波の絵本『ちびくろサンボ』も岡部さんの絵だ。こちらは差別的だというので絶版になった。何とも馬鹿馬鹿しい。 ところでアタシは作家阿川弘之の読者だったかと言えば、実はほとんど読んでいない。海軍将三部作も『井上成美』と『米内光政』は2003年読んだ記録があるが『山本五十六』を読んだ様な気はするがハッキリしない。『南蛮阿房列車』は読んだはずだが記録を探すのが面倒くさい。 しかし、この新書は実によかった。阿川さんの師匠志賀直哉をアタシはこれまたほとんど読んでいないのだが、とにかく文章が素晴らしい。抑制が効いていて情緒的だが感傷に走らず、スッキリと明解だが余情がある。 アタシは生理的にダメな文章というのが極稀にあって細かい理路は自分でもよく判らないのだが例えば松本清張がその典型だ。たぶん文章の呼吸が合わないので読んでいて”息継ぎ”がしんどくなるのかもしれない。 東條英機が嫌いだ、というのは少なからぬ人が書いているが阿川さんは実際に東大の卒業式に現れた東條の様子を描いてその嫌悪と侮蔑が正確だ。そして良き海軍の英国的伝統を懐かしそうに述懐する文章は文字通りユーモアを含み暖かく華やかなのだ。 『坂の上の雲』の取材で戦後に元海軍軍人をインタビューした司馬遼太郎はひっそりと暮らす元軍人達の謙譲、礼儀正しさ、読書量、而(しか)も堅苦しいところのない紳士ぶりに驚いた。 「海軍は明治以降の日本人が作り上げた最大の文化遺産ではないか。民族の能力と精神とが、これほど見事に形に表されたものは他にはない」 という言葉を残しているほどだ。 アタシは最後の海軍大将井上成美の大いなる賛美者ではあるが、井上、山本五十六、米内光政を中央政局から遠ざけ日独伊三国同盟を強行し更に開戦にまで進めた海軍首脳部もまた海軍軍人なのだ。ま、ネトウヨ諸氏もせめて阿川弘之さんの三部作『山本五十六』『米内光政』『井上成美』くらいは読んでから国粋主義的言辞を翫ぶ気概をもっていただきたい。 東京軍事裁判の時、米海軍太平洋艦隊司令長官時代にハワイ真珠湾への米海軍駐留に反対してルーズベルト大統領に大将から少将に降格され司令長官もクビになったジェイムズ・リチャードソン大将が被告席にいた永野修身海軍軍令部総長(元帥)に残した伝言。 「あの雄大な真珠湾作戦を完全な秘密裡に遂行したことに対し、同じ海軍軍人として被告永野修身提督に敬意を表する」 悪名高き「真珠湾だまし撃ち」について、こんなことを言った人は、僕の知るかぎり、あとにも先にもありません。 本書 p.164 これを著者は「ネイビーの国際性」と言っている。確かに凄い。永野修身自身も強いて悪役を被った様に思われる。余談だが永野元帥の写真を見ると60歳を遥かに超えた風に見えるが享年は47歳。今の半端な日本人とは出来が違うのだろう。 高松宮が薨去された時(1987年2月)に偶々アタシは伊勢神宮を参拝しておった。ふと見ると日章旗が半旗になっている。訝しく思って訊いたら昭和天皇の弟が亡くなられたということだった。 英国王室のノブレス・オブリージュについて書く中で阿川さんは高松宮が海軍士官時代、軍艦比叡に乗組員だった22歳の頃、志願しても危険な作業からは悉く遠ざけられてしまうご自身を「私は比叡の油虫」(艦内でウロチョロ食糧を食い荒らすダケ)と嘆かれたという話を記している。 同様に昭和天皇が2.26事件の際に煮え切らない川島陸将以下の陸軍に対し 「陸軍が陸軍の手で暴徒を鎮圧できないというなら、自分みずから近衛師団を率いて鎮定にあたる」 と言われたことについても阿川さんは「その時の昭和天皇は33歳、名君と言わざるを得ない」と書いている。 他に隣人だった作家獅子文六氏のことや、御本人が若かりし日々、右翼(陸軍)、ナチス、ソヴィエト共産党が三つ巴で大キライだったこと、何よりも最終章で論語に対する敬意が表されている。 ここは阿川弘之さんの遺言としてアタシも論語をもう一度しっかり読み直したく候。 最後に「温」という字が篆書で掲げられている。その心は是非この薄い新書版を読んで知って欲しい。 そして 燕居スルヤ 申申如タリ 夭夭如タリ という具合に緩やかに過ごしませう。 peace
by duchampped
| 2015-10-20 15:37
| 逍遙的読書
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