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![]() 古い本である。初版は1949年(昭和24年)だ。それから66年間、今なお改版を挟んで書店に並んでいる、ロングセラーだ。読んだのは図書館にあった1995年の75刷。これですら20年前に刷られたものだ。 しかし、現在にも十分通じる書物である。例えば、 「一定の枠によってのみ事物を律したり、数の表決によってのみ是非善悪を決めることが、近頃各方面の流行となっている。三角定規と算盤だけで真の民主主義が達成出来るものかどうか。」本書 P.121 著者の池田潔氏を存じ上げなかった。阿川弘之さんの『大人の見識』(新潮新書)でこの本を知ったのである。著者の池田氏は1903年(明治36年)に生まれ、1990年(平成2年)に亡くなられている。 池田氏は阿川弘之さんの『山本五十六』(新潮文庫)にも何度か名前の出て来た三井銀行から日銀総裁を務めた池田成彬氏の次男に生まれ17歳で渡英、パブリックスクールのリース校に学び、ケンブリッジ大学を卒業、ドイツに渡りハイデルベルグ大学で更に研鑽を積んだ。帰国後、終戦の1945年から1971年まで慶應大学で英文科の教授を勤めた。 英文学に疎いので御名前を知らなかったのだろう。池田氏より9歳年下の吉田健一もケンブリッジに学んだが卒業せずに帰国している。 この本は池田氏が17歳から過ごしたイギリスのパブリックスクールでの生活を書いたものだ。このパブリックスクールというものが不思議で、名称こそ「パブリック」だが実際は学費の極めて高額な全寮制の私立学校なのだ。所謂イギリス上流階級の子弟がここに学ぶ歴史の古い学校で31校ある。(以下の数値は池田氏の本から) 池田氏の学んだリース校はケンブリッジに所在するが最も新しい学校で1875年(明治8年)の創立。最も古いウィンチェスター校は1387年、イートン校が1440年という。 現在はどうなのか知らないが池田氏の学んだ1920ー30年代のイギリスでは上流階級と下層階級が厳然と別れていた。吉田健一か白州次郎が書いていた様に思うが、階級は使う言葉、体躯(上流は背が高い)がまるで違うのですぐに分かるという。映画「マイ・フェア・レディ」(1964)の世界そのままなのだ。 上流の子弟はまず全寮制のプレパレートリー・スクール(プレップ・スクール)に7-8歳で入学し、そのままパブリック・スクールに進む。映画「ハリー・ポッター」のホグワーツ魔法魔術学校がプレップ・スクール、パブリック・スクールをモチーフにしたと言われているから雰囲気は想像できる。 そして彼等は年に数回の休暇を除き15-6年間を寮で過ごす。両親と離れて成長するのだ。彼等を指導する教員達が、実は彼等と同じ過程からオクスフォード・ケンブリッジを優秀な成績で卒業した者たちだと言う。ここに階級的結束の基盤があるのだろう。しかも彼等はオクスフォード・ケンブリッジ(古代大学)以外の「近世大学」には進まない。例外は陸軍士官学校と海軍兵学校への進学のみという。 もちろんこの31校には、200人しかいないリース校から1000名を擁するイートン校まである。しかしイギリス全体でもパブリック・スクールには1万5500名程度が在校するに過ぎない。人口比でどのくらいになるのか分からないが1学年あたりにすれば精々2千人程度なのだから、おそろしく少ないことは確かだろう。 ところが、生徒が僅かに200名のリース校は運動場を含めその敷地が9万坪というから驚く他ない。単純に一人あたり450坪、この広さの敷地に家を構える日本人は都市部ではごく限られた特権階級だけだろう。正にパブリック・スクールの生徒達はそーいう境遇の者たちなのである。 笑い話。ケンブリッジのトリニティー・カレッジ前庭の美しい芝生。見学に来たアメリカの富豪がローラーをかけている園丁に心付けを渡して芝生手入れの秘訣を尋ねた。園丁は「水をやり、ローラーをかけなさい」と応える。富豪はもう一枚札を渡して秘訣を訊く。「水をやり、ローラーをかけなさい」と答えが返る。むっとした富豪は「そんなことは分かっている!」と怒鳴り、さらに札を園丁に渡した。 すると園丁は3枚の札を懐にねじ込むと「それを毎日繰り返して500年経つとこうなるんで」 同 p.63-64から抜粋 生徒はこの敷地から出ることがほとんど許されず池田氏は「監禁」とまで言っている。外出は3ヶ月の学期中に2回の休日、週に一度程度、学校指定の理髪店に調髪に行く30分以外は門外不出という校則。2回の休日も行く先は博物館かピクニックに限られ、劇場、映画館、大学(兄がいる場合を除き)には立ち入り禁止。生徒には何よりも規律を厳しく守るコトが求められる。 寄宿する部屋は四季を通じて窓が開け放たれているという。イギリスの冬は寒い。枕元の洗面器にはった水が朝には凍っているのが常だが暖房装置がそもそもない。その中毛布2枚で眠るのである。吹雪の朝は毛布にうっすら雪が積もる。 驚くのはその食事の粗末さである。しかもハイ・ティーの後は夕食がない。育ち盛りの12-19歳が極度の空腹を抱えて毎日就寝するのだ。しかも日夜盛んにスポーツが励行される。彼等をこの状況に置いた父や祖父も実は全く同じ経験を超えてきているのだ。それでも栄養失調で倒れるような者はいないという。小泉信三さんがこれについて述べている。 「かく厳格なる教育が、それによって期するところは何であるか。それは正邪の観念を明にし、正を正とし邪を邪としてはばからぬ道徳的勇気を養ひ、各人がかかる勇気を持つところにそこに始めて真の自由の保証がある所以を教えることに在ると思ふ。」同 P.89 パブリック・スクールが生徒に訓えるのは、以下に尽きるという。 ・正直であれ ・是非を的確にする勇気をもて ・弱者を虐めるな ・他人より自由を侵さるるを嫌うが如く他人の自由を侵すな ピアノは上手だが少々数学の不得手な生徒に数学の教師が、ピアノの練習時間を割いて数学の勉強に充てる様に言った時、13-4歳の生徒は凜然と応えたという。 「数学の勉強が足りないと仰言るなら数学の教師として御尤ものことであり謹んでお受けする。しかしピアノが正当な課目として許されて、自分が数学の時間にピアノを弾いていたような不都合のない限り、自分のピアノの練習はピアノの教師と自分だけに関する問題であって、少なくとも数学教師たる貴下の関知するところではない。自分には筋の通らぬ指図を受ける心算はなく、無用の干渉は迷惑と心得るからお控え願いたい。」 教師がただちに誤って話は済んだのだが、相手を怖れず信ずる所を述べて憚らない少年の態度といい、面子に拘って非を固執しない教師の男らしさといい、この国の学校のもつ雰囲気の特徴がよく分かると思われるのである。 同 P.121-122 同じ1920ー30年代の軍国日本では考えられないことだろう。2015年の現在においても日本では面子で生徒を威圧する教員が多いのではないだろうか。しかし、この主張は相手の教師が「個人のもつ自由の尊厳」を正しく理解しているから成り立つのだ。(嘆息)日本は今なおこのレベルにすら達していない。 極東の島国から大英帝国に来た中学生を3年間でケンブリッジ大学に入学できるまでにまでに池田氏を教えた英文学のL先生の思い出が凄く良い。僅か p.123-129 の記述だが素晴らしい。 学期に2回の休日、ピクニックで彼等は河畔や森に出かけ料理を作り仲間と思いっきり食べるのが何よりの楽しみなのだという。 もちろん良いことばかりが書かれているワケではない。池田氏はこれらの特殊な階級的選抜を受けた学校においては生徒の個性は強く抑制され、何よりも集団(母校)の価値への奉仕が求められると言う。それは運動競技、対校試合などに顕著で他の学藝への評価は低くなるという。 いずれにしても『大人の見識』という本で阿川弘之さんが何故この池田氏の聊か古い岩波新書を採りあげたか、最後のスポーツマン・シップの章を読めばよく分かる。 要は「大人」ということが本質的に解らない日本人にその真髄を伝えるのに最も適した一冊であるからだろう。この66年前に書かれた新書は素晴らしい。一読の価値がある。特に大人の矜持も余裕も持たない現在の為政者を思うにつけ。
by duchampped
| 2015-11-15 09:26
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