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『昭和天皇実録』は宮内庁が24年の歳月をかけて60冊+1(目次と凡例)に昭和天皇の誕生から昭和天皇武蔵野陵(みささぎ)への埋葬までをまとめたもので、2014年9月に公開された。内容は「昭和天皇裕仁」顕彰のために編纂されたものであり、「戦争を嫌い」「平和を愛し」「民と共にあった」という裕仁像を描くことが主題になっている。 そのような『昭和天皇実録』であっても読み方は色々ある。昨年末に『昭和天皇の戦後日本〈憲法・安保体制〉にいたる道』(豊下楢彦 岩波書店 2015/7)を読んだ。『昭和天皇実録』を縦横に用いた著作だったが、決して宮内庁の意図した昭和天皇像にはなっていない。むしろ、怜悧で狡猾な天皇裕仁像、天皇制維持に汲々とする姿が描かれていた。その為に天皇の側近や皇族、政治家などの日記やメモ(一次資料)が丁寧に参照されるているからだ。 豊下氏の著書でも描かれた様に昭和天皇裕仁は実に怜悧な政治家だった。原氏の本でも如実だ。何と言っても天皇はバランス感覚に優れている。1928年の普通選挙法による最初の総選挙の時、天皇裕仁は無産階級、無産者の政党が合法的に国政に参与することでむしろ体制は安定しロシア革命の様な危機を未然に防ぐと考えた様だ。選挙結果は有産階級の代表ばかりの国会になってしまったが。 同様に植民地(台湾)住民に対し統治官憲の侮蔑的圧迫的態度を改めるように発言しているし、朝鮮の人民に対しても「侮蔑的態度で接するな」と戒めている。何よりも安定した統治に何が重要なのか天皇裕仁には政治的によくわかっていたのだ。それがよく分かっていない政治家が多かったし、大衆に至ってはお話しにならないレベルだった。 「一視同仁」などという言葉だけがひとり歩きしたのだ。 今でも「日本人に生まれたこと」しか「誇れるモノ」がない人たちが無闇に国旗や国歌を有り難がり、外国人を酷く侮蔑(ヘイト)する。その心性は鬼畜米英と何ら変わるところがない。 原武史さんのこの本はより直截に『昭和天皇実録』を参照する内容になっている。もちろん「一次資料」の精査も行われているが、むしろ『昭和天皇実録』に記録された「御告文(おつげぶみ)」(天皇自らが伊勢神宮などでの祈願の際に読み上げる詞)などから宮内庁が企図しなかった昭和天皇の実態が考察される。 実は、原さんには同じ岩波新書で『昭和天皇』(2008)がある。御本人はあとがきで今回の『「昭和天皇実録」を読む』はこの『昭和天皇』の続編であると書いている。 残念ながら『昭和天皇』をアタシは書架に置いたまま未読だ。ちなみに『大正天皇』(2000、朝日選書)もあるがこちらは既読。 原さんはこの2008年の『昭和天皇』における問題意識を「天皇祭祀を分析することで戦前戦後と変化せずに一貫する天皇像=国家神道の祭祀を担う天皇像」だと書いている。この視点は島薗進氏の『国家神道と日本人』(岩波新書 2010)にも共通する。 そして『昭和天皇実録』によってより精密な分析が可能になったとして、2015年のこの本では更に「天皇と神(皇祖皇宗、英霊)との関係」と「天皇と臣民との関係」をポイントに分析が進められている。 『昭和天皇実録』から「内奏」の頻度が戦前と戦後では変わっていないことが分かる。前掲書で豊下氏は昭和天皇裕仁の戦後政治への積極的な介入を度々指摘しているが、原武史氏は豊下氏の著書にはなかった昭和天皇裕仁のキリスト教カトリックへの傾倒を『昭和天皇実録』から拾いあげている。 原氏は天皇裕仁が皇太后(実母)の圧力で終戦間際まで神道に勝利を祈願したことを悔いていたこと、1948年11月には極東国際軍事裁判(東京裁判)が結審し12月に絞首刑になった7人が天皇自身の戦争責任を代替した部分が大きかったことなど天皇裕仁個人の精神的葛藤故に1947ー1950頃カトリックに急接近したのではないかと指摘している。 しかし1951年サンフランシスコ講和条約により日本は独立=安保体制を受け容れた。これによりアメリカの属国という拘束の下で天皇裕仁の悲願だった天皇制は維持される。天皇裕仁のカトリックへの接近は激減する。 日本の独立回復以降は象徴天皇として裕仁は37年をおくる。心配事は共産主義の伸張(内乱・革命)だけだった様だ。1989年1月7日朝、64年という長い昭和が終わった。亡くなった小渕総理が平成と書いた紙を持っていた。平成も28年目になった。 巻末に太平洋戦争時期に昭和天皇が鑑賞した映画の一覧がある。帝国軍人175万人が死に、民間人はそれに倍する393万人が死んだ戦争である。国民570万人は人口の5%を超えるのだ。これだけの国民がたった4年足らずで死んで逝くのを天皇裕仁が何処まで知っていたのか分からないが、ずいぶんたくさんの映画を観ている。臣民にはその心情は理解できない。 実は並行して『昭和天皇は戦争を選んだ』(増田都子 社会批評社 2015)を読んでいるが、こちらは『昭和天皇実録』は見ていないと著者が文中に書いている。タイトル通り昭和天皇裕仁を「戦争に反対した平和主義者」「国民と共に歩む天皇」等とする教科書(日本会議御用達)を取り上げ、一般的に閲覧可能な資料を精査して上で反駁している。『昭和天皇実録』を読み込んだ改訂版を出して欲しいと思う。それに日本会議も無視していないでキッチリ反駁すれば良いだろう。跋文で右翼の鈴木邦男氏も述べている様に。 余談。確定できないにせよナチスが”殺戮”したユダヤ人が575万人とも言われている。非戦闘員を戦場でない場所で効率的に殺したのである。米軍が日本人570万人を殺戮する為に原爆2発を含め膨大な量の火薬を使用したことを考えると、これは想像を絶する数字だ。
by duchampped
| 2016-01-26 20:04
| 逍遙的読書
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