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著者の中山康樹氏は1952年生まれなので、アタシより4歳年長である。 この4年の差がとてつもなく大きいと思った。もちろんこの本に書かれた内容を著者が全て体験したワケではないだろう。しかしロック・ミュージックが正に誕生する瞬間に中学生だった中山氏と既にクリームやジミヘンが活躍していた時期に中学生になり輸入音楽を聴き始めたアタシとではロック・ミュージックの受容がまるで違うと思う。 音楽の聴き方、言い換えれば消費スタイルによって音楽の内容が変わる。クラッシックやジャズはBGMにもなる。その究極の形が「エレベーター・ミュージック」だ。しかし、一定以上の再生装置を使い真剣に耳を傾けるスタイルが名曲喫茶とかジャズ喫茶というものを生み出した。 歌謡曲や洋楽ポップスをこの様なスタイルで聴くことはない。ところがロック・ミュージックもまたロック喫茶というものを生み出した。つまり「傾聴」する音楽だったワケだ。まぁ「デカイ音で聴かなければロックじゃ無い」という気分も大いに影響したが。 またウォークマンという携帯音楽再生装置が誕生し、我々は自分の聴きたい音楽をカセット・テープに録音し消費した。しかも極めて個人的に「ロックらしい大音量」を携帯できたのだ。友人同士でカセットの交換をしたのは、同じアーティストの複数のアルバムからどの様に選曲し列べるか、そのセンスを競いあったのである。 何と言っても、アタシにとってロック・ミュージックはシングル盤で買う音楽では無かった。アルバム(LP)単位で消費するパッケージ商品だった。 とは言え、初期のクリームやジミヘンはシングル・ヒットを狙った曲も多かった。ツェッペリンでさえ1stから2曲ほどシングル・カットされていた。(但しイギリス本国ではシングル盤は出していない)しかし、チャートを賑わす「洋楽」は古臭いポップミュージック。あるいはロックとは呼べないビートルズやビージーズ、といった印象だった。 そのクリームやジミヘンがクソ長いインプロヴァイゼーション(アドリブ演奏)を繰り広げるライブ盤を出した頃、アタシは最初にLPを買い正式な「ロック・ミュージックのユーザー」になったのである。 言い換えれば、アタシはシングル盤をほとんど買ったことがない。そーいう「ロック・ミュージックの消費スタイル」が確立されつつあった時代からロックを愛好し始めたからだ。 閑話休題。 中山氏はこの本ではロック・ミュージックはイギリスで誕生したと述べている。結論から言えばそれは正しいと思う。CreamもLed ZeppelinもDeep PurpleもBlack Sabbathもイギリスで生まれた。 Jimi Hendrixだってロンドンでデビューしたのだ。というか、アタシはブリティッシュ・ロックを主に聴いてきたのだと思う。 King CrimsonもPink FloydもYesもイギリスのバンドだ。アメリカのロック・ミュージックで好きなのはZAPPA宗匠、Cactus、Mountain、Steely Dan、くらいか。 そもそも1950年代後半にアメリカで流行したプレスリーの”ロックン・ロール”がイギリスに輸入され、クリフ・リチャードを生んだ。 ところが、エルビスが「歌手」であったのに対しクリフ・リチャードは「バンド」だったことが大きな違いを生んでゆく。クリフ・リチャードのバンド”シャドウズ”にはギタリスト、ハンク・マーヴィンがいた。赤いストラトを持った彼こそが最初のロック・ギタリストだと言うのである。 アメリカでは60年代初頭、白人の音楽と黒人の音楽は厳然と別れていて、メジャーなジャズを除けば白人が黒人の音楽(ブルース、ゴスペル)を聴くことがなかった。 しかしロンドンでは60年代初頭「ブラック・ミュージック」がイケていたという。本物の黒人が当時のロンドンにはほとんどいなかった。白人しかいない環境でアメリカ産のジャズやブルースが「R & B」という曖昧な形で誤解された形で受容され再生産されていたのだ。 エレクトリック・ギターでブルースを歌うアメリカ黒人、シカゴ・ブルースの父マディー・ウォーターズがイギリス公演を成功させたこともロンドンのブラック・ミュージック・シーンに強い影響を与えた。 アレクシス・コーナーの”ブルース・インコーポレイテッド”は彼等が理解する黒人音楽をベースに自分たちの「ブラック・ミュージック」を作ろうとした。これに続いたのが故ブライアン・ジョーンズ率いるローリング・ストーンズだった。 ここでロック・ミュージック誕生に深く関わるのは”ヤードバーズ”だ。エリック・クラプトン、ジェフ・ベック、ジミー・ペイジが在籍した伝説のバンドだ。しかし彼等は決してメジャーな存在ではなかった。アタシも音楽雑誌などのツェッペリンに関する記事で名前は知っていたが実際に聴いたのはかなり後になってからだ。 ヤードバースはジャズ・ミュージシャン、チャーリー・パーカーの渾名”Yardbird”からバンド名を付けた。イギリス式「ブラック・ミュージック」の信奉者だったのだ。 ヤードバーズはスタジオ録音のレコードがパッとしなかった上にライブ・バンドとして評価されていたために当時としては画期的な「ライブ盤」でアルバムを作った。この”Five Live Yardbirds”(1964年3月録音)で19歳だったエリック・クラプトンのギターが聴ける。 そして著者の中山氏はこのライブ盤こそが「ロック・ミュージック」誕生の瞬間だと言う。 そのブリティッシュ・ロック/ブルースとは、アメリカ黒人に同化するのではなく、「そこ」からいかに遠くまで行けるかという挑戦であり、その到達点によって評価される側面をもつ。本書 p.134-135 ヤードバーズはよりポップな方向に舵を切り、ジェフ・ベックがクラプトンに替わりギターを弾いた。そしてジミー・ペイジは”ニュー・ヤードバーズ”としてツェッペリンを始めた。 このLED ZEPPELINがロック・ミュージックの新しい典型となる。Deep Purpleはよりハードな方向を追求し、Black Sabbathが新しいヘヴィーなロックを生み出した。 考えてみれば、イギリスからこうしたブリティッシュ・ロック/ブルースが誕生しなければ、アメリカの白人ブルース・ミュージシャン、ジョニー・ウィンターやスティーヴィー・レイ・ヴォーンなどは存在しなかったかもしれないのだ。 アタシがロック・ミュージックを意識的に聴き始めた1969年頃には既に「ロック・ミュージック」が存在していた。ツェッペリンやクリームの日本盤ジャケットには「アート・ロック」というロゴが印刷されていた。音楽雑誌等では「ニュー・ロック」という言葉も使われていた。つまりシングル・ヒットを狙わない=ラジオでオンエアし難い3分以上の曲が多い、という按配だ。 アタシは”クリーム”やジミヘン”に夢中だったが、中学校のクラスの大半はサイモンとガーファンクルとかビートルズを聴いていた。あるいはビージーズとかのポップスだ。せめてドアーズくらい聴けよ、とか思っていたがアチラがマジョリティーだった。 つまりロック・ミュージックなんてはクラスで数人しか聴いていないものだった。そして中学3年生の時にはジミヘンもジャニス(Janis Joplin)も死んでしまった。 中2でウッドストックが話題になりその後映画も公開された。しかしビートルズの好きなマジョリティーは関心を示さなかった。当時”レット・イット・ビー”の話ばかりでウンザリした。 中学3年生の時にラジオ深夜放送で試写会が当たって、ジョーコッカーの映画” Mad dogs & Englishmen”を見た。その時レオン・ラッセルに完璧にノックアウトされた。それからしばらくは小遣いを貯めてレオン・ラッセルのレコードを探し輸入盤屋をハシゴした。とにかくこの映画はめちゃくちゃにカッコいい。 しかし、高校生になった頃にはディープ・パープルやグランド・ファンク・レイルロード、そしてツェッペリンがどんどんメジャーになって、アイドルのオッカケをやっている連中、ジェイムス・ブラウン一派、ジャズ派、クラッシック派などと競合する勢力になっていった アタシはプログレにハマってキングクリムゾンやエマーソン・レイク&パーマー、ソフト・マシーン、マッチング・モウル、タンジェリン・ドリーム、クラウス・シュルツ、ジェントル・ジャイアント、ジェネシスなどに耽っていた。その頃にはイギリス盤のみならずドイツ盤などを輸入するレコード屋も登場していた。 そして高校3年生の頃には専ら”はっぴいえんど”や”頭脳警察””四人囃子”といった国産ロック・ミュージックに魅了されて洋楽を聴かなくなっていった。大学入学前にユーミンがデビューして、シュガー・ベイブや南佳孝などを聴いていた。並行してこの頃からジャズやクラッシックも聴くようになった。 すっかりロック・ミュージックとは縁が薄くなったが、90年代に入るとCDが相対的に安くなって「大人買い」が可能になった。映像のプロデューサーだったので出張が多かったからその手当をCDに投入して、懐かしいロック・ミュージック(デジタル・リマスターでCD化されたり録音時間が長くなったのでボーナス・トラックも付けられることがあった)を買いまくった。そして気が付いたら3000枚以上のCDに囲まれて暮らしている。半分はジャズとクラッシックだけど。 結論的にこの本を読んでとてもスッキリした。漠然とハードなロック・ミュージックはイギリスで誕生したと思っていたが、その経緯がシンプルに描かれていたのである。
by duchampped
| 2016-02-02 12:02
| 逍遙的読書
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