|
カテゴリ
以前の記事
2025年 09月 2024年 11月 2021年 01月 2020年 05月 2017年 04月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 10月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 01月 2011年 12月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 07月 2010年 05月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 11月 2008年 08月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 04月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 フォロー中のブログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
アタシがセロニアス・モンクをちゃんと聴いたのは10代の頃ジャズ喫茶で聴いていたのを別にすれば比較的最近のことだ。 巻頭のエッセイでハルキさんが書いているがモンクのピアノはごく若い十代から二十代はじめに受容しなければ、言い換えれば、50代になって「レッド・ガーランドの様なつまらないピアノを散々聴いた」後ではゴツゴツとしたその手触りに戸惑うことになる。 そのピアノはハルキさんが言う様に聴いた瞬間に「モンクだ」と分かる。強烈にディスティンクティヴなのだ。というか全ての他のピアニストたちと作り出す音が剰りにも違う。 もちろん、ジャズ・ミュージックの聴き方は色々ある。一方にはオーセンティックなバーの”備品”として英国製の上品な再生装置で静かに流されているものを好む人もいるだろう。言うまでもなくセロニアス・モンクはこの様なシチュエーションには全く不向きだ。 JBLのモニターから「叩き出される」ジャズ・ミュージックを真剣に聴く様なジャズ喫茶が今も多く残っているのかどうか分からないが、70年代には吉祥寺あたりにも数軒のジャズ喫茶があった。「暗がりで眼をつぶって」セロニアス・モンクやジョン・コルトレーンを聴く一群の無言の人たちのたまっている店だ。揃って長い髪に黒い服。 アタシもそーいう場所でモンクやコルトレーンを聴いていた。おそらく音楽自体よりもその様な雰囲気に惹かれて通っていたのだと思う。単純に背伸びをしたい年齢だったのだ。実際にはシリアスな顔でジャズ・ミュージックを語る人たちが鬱陶しかった。 真剣にジャズ・ミュージックと向き合うのは悪い事ではないと思う。しかし、何故、無闇に求道的な口調で音楽を語るのか、特にモンクやコルトレーン。当時ですら既に「同時代の音楽」ではなかったにもかかわらず。 当時はハービー・ハンコックの「首狩り族」や電化マイルスが圧倒的に主流だった。試しにマイルスの”A Tribute To Jack Johnson”(1970)を聴いてみると「帝王が如何にストレート・アヘッドなジャズから遠く離れてしまった」が、よく分かる。アタシも自宅ではキース・ジャレットのソロ・ピアノなどを延々と聴いていたものだ。 ハルキさんはキースは胡散臭いしチック・コリアは退屈だと別の本に書いているが。 まぁ、ハルキさんと音楽の趣味が完全に一致するワケがない。生活してきた背景も聴いてきた音楽も異なる。アタシは彼の書くモノは大好きだが、音楽の趣味はそこに含まれない。 この本はジャズ・ミュージシャン、レコード会社のプロデューサー、あるいはジャズ評論家たちが「セロニアス・モンクという特異な現象」について書いたものを春樹さんが丹念に探して訳したものだ。 既に書いた様にアタシは敢えてセロニアス・モンクを丁寧に聴いてこなかった。この本を読みながら手元にあった15枚程の初期のアルバムを丁寧に聴いてみた。具体駅には以下。 ・Monk/1954 ・Thelonious Monk Trio/1954 ・Thelonious Monk and Sonny Rollins/1954 ・Thelonious Monk Plays Duke Ellington/1955 ・The Unique Thelonious Monk/1956 ・Brilliant corners 1957 ・Thelonious himself/1957 ・Art Blakey's Jazz Messengers with Thelonious Monk/1957 ・Monk's Music/1957 ・Mulligan Meets Monk/1957 ・At Carnegie Hall/1957 ・Thelonious in action/1958 ・The Thelonious Monk Orchestra At Town Hall/1959 ・By Monk By 5/1959 ・Thelonious Alone In San Francisco/1959 アタシは決してカクテル・ピアノが好きでジャズを聴いているのではない。が、延々とセロニアス・モンクを聴いているとアタマの芯が疲れる。漫然と聞き流せる音楽ではないからだ。聞き流さなくても例えばビル・エヴァンスを延々と聴いてもあまり疲れることはない。結論を言ってしまうと、たぶんハルキさんが10代でモンクに夢中になった様にはモンクの演奏が心底では好きになれないかもしれない。個性的だし不思議だとは思うが深い慰安を得るところまでには至らないのだ。 むしろアタシはトミー・フラナガンの滑らかで上品なピアノが好きだ。特にフラナガンがモンクの作品を集めて弾いている"Thelonica"(1982)が素晴らしい。 ビル・エヴァンスやウィントン・ケリーももちろん良い。一方でモンクの「異質な神経」がひたひたと心に迫る一瞬もある。しかし、それは必ずしも「常に」ではなく、こちらの体調などに左右される。 上記のリストにいれなかったがセロニアス・モンクを聴くなら「この1枚」というのがこれ。痛々しい程に美しいモンクのピアノが堪能できる。 この本で、ジョン・コルトレーンが1957年の7月から12月にかけてモンクのカルテットの一員となってファイヴ・スポットで連日演奏したことが取り上げられている。コルトレーンの「奇跡の成長」と言われている時期だ。 ところがこの時期に二人の演奏を録音した者がほとんどなかったらしい。それが2005年に突然CD化された” At Carnegie Hall/1957”で、たっぷりと二人の演奏を聴くことができる。モノラルだが音質は良い。不思議な「間」に満ちたモンクのピアノ、コルトレーンのテナー・サックスがモンクの奇矯なコードでのバッキングをしっかり受け止めながらしっとりと展開している。 これを毎晩半年続ければ凄まじい訓練になるだろう。コルトレーンも後年、インタビューでモンクとの半年が自分を成長させたと繰り返し述べている。もっともアタシはコルトレーンが"スピリチュアル"になってからのものはあまり好まない。 しかしモンクの作る曲は美しい。 この本では12人がそれぞれセロニアス・モンクについて書いている。故に「あとがき」で春樹さんも触れている様に同じ出来事が微妙に異なる視点から描かれていて面白い。 1940年代から50年代にかけてアメリカで黒人の置かれた立場について、モンクに対するニューヨーク市警のひどい仕打ちを見ても凄まじく差別的で屈辱的だったことが分かる。マイルス・デイヴィスの伝記を読んでマイルスが「なぜそこまで白人を嫌ったのか」をむしろモンクが白人から受けた扱いを読んで納得した程だ。 しかし、モンクがいかに天才であったとしても、その振る舞いは完全に常軌を逸している。著者の一人は「統合失調症」という言葉を使っている。少なくともアスペルガー的な、ある領域においては極度の才能を示すが全般的にはコミュニケーション能力に失調があり奇矯な振る舞いをする、という辺りをモンクは彷徨っていたのかもしれない。そうでなければ才能を認められるまでの短くない年月、モンクを苦しめた出来事の大半は彼自身の奇矯さにあることが理解できない。 バード(チャーリー・パーカー)とモンクの庇護者として高名なロスチャイルドのお姫様「パノニカ・ド・コーニグズワーター」男爵夫人を描いた「ニカの夢」(ニカは男爵夫人の愛称)という伝記からの一章「モンクと男爵夫人はそれぞれの家を見つける」(デヴィッド・カスティン)がこの本では最も長いのだが読み応えがある。モンクの一面もヨク分かるが、マイルスのベンツと彼女のビバップ・ベントレー(S1コンティネンタル・ドロップ・ヘッド・クーペ)のシーンが最高だ。 午前3時頃、ニカがセロニアスとネリー、ハンプトン・ホーズを車に乗せて7番街を走らせていると、マイルス・デイヴィスがその隣にメルセデス・ベンツのスポーツカーを停め、窓から例の小さなしゃがれた声で「レースするか?」と言った。その挑戦を喜んで引き受けた後で、ニカは後を振り返り「いつもの気取った英国風の声音で言った。『今度こそあのマザーファッカーを負かしてやるから』と。」同P.134 ちなみに翻訳されていない彼女の伝記『Nica’s Dream: The Life and Legend of the Jazz Baroness / Kastin, David』をアマゾンで買ってしまった。 何しろ彼女は122匹の猫をプラザ・ホテルのスイートで飼っていて、ホテル側が再三値上げをして通常の3倍もの料金を払っていたのだが追い出されたのである。 サックス・プレイヤーのチャーリー・ラウズについて、ジャズ評論家のダン・モーゲンスターンは次の様に書いている。 彼の演奏にはユーモアと誠実さがある。「誠実さ」という言葉は慰めを含んだ励ましのような意味合いで使われることが多いようだが、我々はそれを「ナイーブな純朴さや洗練性の欠如」というのではなく、「音楽的追求と音楽的意義への献身」を意味するものとして使っている。 本書 p.166 こーいうことを言うジャズ評論家は良いなぁ。と思った。 いずれにしてもセロニアス・モンクが好きな人、ジャズ・ミュージックの好きな人、そのどちらにも興味はないが村上春樹さんの文章が好きな人、この三者には愉しめる本だ。
by duchampped
| 2016-03-07 13:14
| 逍遙的読書
| ||||||
ファン申請 |
||