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僕らは結局のところ、血肉ある個人的記憶を燃料として、世界を生きている。もし記憶のぬくもりというものがなかったとしたら、太陽系第三惑星上における我々の人生はおそらく、耐え難いまでに寒々しいものになっているはずだ。だからこそおそらく僕らは恋をするのだし、ときとして、まるで恋をするように音楽を聴くのだ。 本書 p.91 シューベルト「ピアノソナタ第十七番ニ長調」D-850について書かれた文章だ。 残念ながら手元にこの曲のCDがない。この文章で取り上げられた15人のピアニストのウチ聴いたことのない人が6人もいる。そもそもアタシはシューベルトを好んで聴かないしクラッシックはごく限られたものを聴くだけだ。 聴いたことのある9人のピアニストでアルフレート・ブレンデルのシューベルト・ピアノ・ソナタは棚にあるがD-850は含めれていない。彼のモーツァルトとハイドンが好きだ。しかしショパンはこの9人に含まれないポリーニで聴いてしまうし、アンドラーシュ・シフもバッハやモーツァルト、ハイドンなら聴く。 いずれにしてもハルキさんはクラッシックやジャズ・ミュージックについて異様に早熟な中学生だった。集中して聴いてきた量が違う。アタシがうすらボンヤリとジミヘンやクリームを聴いていた年頃にハルキさんはジャズやクラッシックに真剣に向き合っていたのである。 この本、實は以前に一度読んでいる。この本冒頭のジャズ・ピアニスト、シダー・ウォルトンの新宿ピット・インでのライブ盤をその文章を読んでから買った。しかしハルキさんが褒める程にはその演奏に心を揺さぶられない。 例えばハルキさんが選んだブライアン・ウィルソンにもそれ程惹かれない。スタン・ゲッツもボサノヴァはよく聴くがそれ以外のCDはほとんど聴かない。ブルース・スプリングスティーンに至ってはほとんど聴いたことがないしCDも持っていない。 ゼルキンとルービンシュタインの2人について書かれた文章もすごく面白いが、アタシはベートーベンは弦楽四重奏を除いて全く聴かない。つまりゼルキンには縁が無い。ルービンシュタインは自伝の翻訳を面白く読んだし、演奏も好きなのでショパンやモーツァルトを時々聴く。 音楽に対して何を求めるのか、は、人に依って様々だ。他人が深刻な顔をしてベートーヴェンをゼルキンの重いソリッドな演奏で聴くのはその人の問題であってアタシには関係ない。アタシはシンプルに軽やかなルービンシュタインの演奏を好む。 アタシにとってシリアスな音楽と言えばアントン・ブルックナーを聴くのが精一杯なのだ。しかしブルックナーのシンフォニーは極めて美しい。 「ウィントン・マルサリスの退屈さ」について書かれた文章に大笑いした。 アタシはマイルス・デイヴィスが大好きなのでマイルス親分が糞味噌に言うマルサリスは数枚聴いただけだ。そしておそろしく上手いが極めて退屈だとアタシも思う。そもそも楽器が上手いからその演奏を聞くというのは音楽を聴く理由のひとつだが、それだけで聴き続けるワケではない。マイルスは特別にトランペットが巧いワケではないのだ。しかしウィントンの母親が敬愛するウィントン・ケリーから名前を付けたとは知らなかった。 スガシカオも聴かない。というかJ-POPを聴かない。60歳を超えて、仕事以外でJ-POPを聴く人というのはむしろ稀ではないか。 スガシカオも偶然クルマで移動中にFM放送で耳にしたかもしれないが何の印象も残っていない。ウチには新しいCDは矢野顕子くらいしかないのだ。 フランシス・プーランクという作曲家(ピアニスト)の作品もほとんど聴いたことがない。ルービンシュタインのCDに作品がふたつ収録されているだけだ。 最近は50年代のストレートなジャズ・ミュージックばかり聴いているのでこの作曲家の作品をまとめて聴く機会はあまりなさそうだ。 ウディー・ガスリーも名前はよく知っているが聴いたことがない。何しろアタシが生まれた頃には活動していなかったし、ボブ・ディランへの影響云々と言われても肝心のディランを好んで聴かないのだから仕方がない。むしろアタシの世代は息子のアーロ・ガスリーの方が身近に感じる。 何と言ってもアタシはフォークソングを好まないのだ。オカバヤシ・ノブヤスだって「はっぴいえんど」が伴奏をしている”見る前に跳べ”しか聴かないくらいだ。 結果的にハルキさんの取り上げた音楽家のかなりの部分を聴かないことが分かったが、むしろハルキさんが音楽について重要視している”何か”については共感できた様に思う。その「何か」を意識的に排除した音楽がエレベーター・ミュージックだ。 考えてみれば、アタシは一年中音楽を聞いている。しかしこの様に真剣に聴くという姿勢も大切だと、中学生や高校生の頃、音楽を一生懸命聴いていた自分の姿を思い出しながら痛感した。社会人になって以降、特にCDの普及にあわせて(出張中にカバンに5-6枚入っていても邪魔にならないから)音楽ソフトを「大人買い」しまくってきたが、まだまだ聴いていない音楽が無限にある。そして日々新しい音楽が作られる。 僕にはーー小説家だからということもあるかもしれないけれどーー音楽を媒介にして、その周縁にある人々の生き方や感情をより密接に知りたいという思いがあるし、こういう本を読んで音楽を聴くと、何かひとつ得をしたような愉しい気持ちになれるのだ。そんな音楽の聴き方があってもいいだろう。 同 p.187
by duchampped
| 2016-03-10 13:29
| 逍遙的読書
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