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実は、フィニアス・ニューボーン・ジュニアというちょっとマイナーなジャズ・ピアニストとのエピソードをムラカミハルキさんが書いていたのを思い出したので真剣に読み返したいのだが、どのエッセイ集にそれが収められていたのかが思い出せない。挿絵のイラストまでぼんやり思い出せるのに。そこで手当たり次第にエッセイを読み返している。
余談だが、Phineas Newborn Jrは、単純に異様にピアノが巧いということもあるが、なかなかリリカルでお酒が進むという弊害もあって、止められない! まずは(アタシ的には新しいエッセイの)『村上ソングス』(中央公論新社/2007)を読んでみた。これも再読だと思う。内容は音楽の話なので直球だ。聴いたことのない多くの歌が登場している。最初に読んでからまだ10年も経っていないのにすっかり忘れていて驚く。 ところでコール・ポーターの”Miss Otis Regrets”の章でカーメン・マクレエが『グレート・アメリカン・ミュージック・ホール』のライブ盤(1971)で歌っている、とハルキさんは書いているけど『センチュリー・プラザ』でのライブ盤(1968)の間違いだと思う。珍しいミスの様だ。昔、空冷VWビートルのラジエーターのことを小説に書いていたのでハルキさんってクルマのことは知らないんだな、と面白く思ったけど、別のエッセイのどこかでクルマに詳しくなった御本人が訂正をしていた。 と言うかハルキさんは無闇に音楽に詳しいと言うよりも生活の一部に音楽が組み込まれている。もちろん膨大な読書量と多くの映画を見ていることも同時にその音楽との生活に奥行きの深さをもたらしている。 結局、美術とか音楽とかの楽しみ方というのはその様なある種の教養の集積に依存する。つーか、文化資本という社会学用語で言えば「身体化された形態の文化資本」などで説明されるワケだけど、ハルキさんの場合、これが極めてしっかりと身体化されている。 村上春樹長編小説に対して毀誉褒貶が激しいけれど、貶す人のどこかにこのハルキさんの身体化された文化資本への僻みというのか劣等感の様なものを感じる。しかし思春期から本気で読書し、音楽を聴いてきた真摯な姿勢とその時間が個人的に作り上げたものだから羨んでも仕方がないし。ハルキさんが好む音楽を必ずしもアタシは好まない。7年間ジャズのお店をやって朝から晩までジャズを聴いていたハルキさんとでは聴いている量が違うし。クラッシックもアタシはごくポピュラーなものしか聴かない。そもそもアタシは猫が好きではない。(そのせいか性格の悪い猫に奇妙に好かれたりする) 残念ながらこの本にフィニアス・ニューボーン・ジュニアのエピソードは出てこなかった。 次に『 やがて哀しき外国語』を読んだ。この本にはハルキさんがヨーロッパに次いで合衆国の東海岸、プリンストンに3年あまり住んだ時のことが書いてあるのだが、内容はさておき久しぶりに1990年代に書かれたハルキさんの文章を読むと、何と言うか過ぎ去ってしまった春の夕暮れを回想しながらバーボン・ソーダを飲んでいる様な気分でなかなか楽しい。 1991年頃に書かれた文章を25年経ってからまた読み直しているワケで、刊行された直後に読んだアタシも30代だったのだ。バブルが崩壊して世間全体がくすんだ雰囲気だった。広告業界も当然冷え込んでいて仕事がないから新しい媒体の企画をしたり通信衛星を使った専門媒体の立ち上げなどをやっていた頃だ。 しかし何度読んでもハルキさんの奥さんがトニ・モリスン(プリンストン大学でハルキさんと同僚だった、1993年にアメリカの黒人として初めてノーベル文学賞を受賞した女性)とウーピー・ゴールドバークが見分けられない、という話には笑ってしまう。 このエッセイ集にもフィニアス・ニューボーン・ジュニアのことは出てこなかったので次に『村上朝日堂の逆襲』(新潮文庫/1989)を読んだ。文章が書かれた順番に読めば良かったのだが本棚を探して目に付いたものを読んでしまったので仕方が無い。 このエッセイは「週刊朝日」に1985年4月から1年間連載されたもので『ノルウェイの森』の狂乱騒動が起きる1987年よりも前なのでハルキさんはとてもリラックスしている。亡くなってしまった安西水丸さんのイラストが懐かしい。この本にもフィニアス・ニューボーン・ジュニアとハルキさんが邂逅したエピソードは出てこなかった。 次は『うずまき猫のみつけかた』(新潮文庫)をチェック。時期的には『やがて哀しき外国語』の直後、プリンストンからマサチューセッツ州ケンブリッジに引っ越した1993年以降のものだ。ハルキさん自身があとがきで『やがて哀しき外国語』よりもカジュアルに肩の力を抜くという方針で書いた言っている。 久しぶりに大好きなジョン・ウォーターズの名前が出て来たり(思わず”Pink Flamingos”のDVDを探しちゃったよ)、書架に積んだままになっているトム・ジョーンズ(Thom Jones)御本人が糖尿病の薬を片手に登場したり、もう最高に奇天烈で止められない。 ハルキさんが全く中華料理を受け付けない体質(ラーメンも餃子も食べたことがない)という話が出てきて、あーそうだったそうだったなどと思い出したりしてほんわかと楽しい。 しかし組織に属さずハルキさんが一人で孤軍奮闘してこりこり小説を書く理由を。 何故なら、個人が個人として生きていくこと、そしてその存在基盤を世界に指し示すこと、それが小説を書くことの意味だと僕は思っているからだ。同書 p.74 なんてちょっとマジなフレーズも出てくる。 一方で「やさしく走ろう○○県」だの「一億の心にともせ無事故の灯」だの、相変わらず氾濫する愚劣な交通標語の横断幕や看板、この本でハルキさんが「全く無意味で醜悪だ」と書いてから20年以上経っている、が、何ひとつ変わっていない。 あれはどーいう人たちがどーいう理由で掲出しているのか、アタシにも全く理解できない。ただただ、無意味な横断幕や看板を予算化し、張り出すコトで金銭的に潤う人がいるというダケのコトなのだろう。 と言ふ理由で、この本にもフィニアス・ニューボーン・ジュニアは登場しなかったので次は『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』(新潮文庫/1999)を再読。内容は週刊朝日に1995年11月から13ヶ月連載されたもので『村上朝日堂の逆襲』から10年後に再び安西水丸さんとコンビを組んでいる。 p.258に再び交通標語の掲出に対するハルキさんの嫌悪が書かれてはいたがフィニアス・ニューボーン・ジュニアは出てこなかった。しかし書く方はそれなりにタイヘンそうだけどささっと読んでるとなんというかあっという間に読み終えてしまう。 ここで村上朝日堂で最初期の『村上朝日堂 はいほー!』(新潮文庫/1992)に戻って再読。これは何と言ってもアタシが社会人になった1983年から5年に渡って雑誌「ハイファッション」に連載されたものだから懐かしいを遥かに通り越している。 JRが国電の時代なのだ。 しかしハルキさんが34〜39歳、作品で言えば『羊をめぐる冒険』(1982/10月)『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』(1985/6月)『ノルウェイの森』(1987/9月)の辺りになる。ハルキさんが急速に人気作家としてビッグネームになった時代だ。20代のアタシと30代のハルキさんが懐かしくなるね。 久しぶりに読んで、そーだよなー、と思ったのはハルキさんが高校生の時、学校が制服を自由化するか否かというアンケートをしたら生徒の7割が「制服のままで良い」と答えたという出来事だ。 それ以来僕は日本という国を、心の底であまり信用しなくなった。今でもあまり信用していない。(中略)この国の七割の人間は心からは自由を求めてはいないんだぞ、と。 同書 p.48 たぶん世代的なコトもあるのかも知れない。でもやりたい放題の現政権を48%の国民が支持してるなどという世論調査を聞くとアタシは暗澹とするね。 流石に文章がいささか生硬なのだが「ジム・モリソンのための「ソウル・キッチン」」を読み返して凄く新鮮だった。思わずドアーズのファースト・アルバムを聴き直してしまった。(Macintoshのitunesに4000枚くらいのCDが収まっているがすぐに探せてすぐに聴けるので便利この上ない、4000枚のCDの山からドアーズのこの1枚を探すことを考えたらぞっとする)しかし、今読んでもこの文章はとても良い。 残念ながらフィニアス・ニューボーン・ジュニアはやはり出てこない。 そろそろ疲れてきたが意地で『村上ラヂオ』(新潮文庫/2003)を読む。 というかハルキさんのエッセイってある種リズムが共通なので延々と読んでると奇矯な部分が凝ってくる。これはそーいう文章をまとめて読み返しているアタシに問題があるので少量ずつ読まれるべく連載されたものをいっぺんに読む方が悪い。 例えば子供の頃はあまり好きでなかった鰻が人生のある時点で急速に好物になる話はアタシもそうなのだけど、たぶんちゃんと日本酒の味がわかった頃からじゃないかな。とか柿ピーと一夫一妻制の話とか。どーでもいい話が続くのである。だけど面白いからリンダ困っちゃう!(って古すぎて 意味不明?) ホントに読むのがイヤになってきたのでいったん閉めます。 しかしフィニアス・ニューボーン・ジュニアの話はもしかしたら村上春樹さんではなかったのではなかろうか。という不吉な疑惑うっすらとが揺曳している。 うーん。困ったな。
by duchampped
| 2016-05-15 23:28
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