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旅程の組み方というのは意外に落とし穴があるものなのだ、と今さらながら気付く。 当初の予定表で、今日は 5:34 大牟田発の鹿児島本線で未踏の終端駅「西戸崎」「宇美」「若松」を回って大分に18:47に着く旅程だった。 しかし流石に疲れがたまって強烈に眠い。 5:34発ということは、その15分前には駅に居たい。今日のホテルは駅までけっこう歩くので(選んだのはオラだけんど、他に選択肢がなかったのよ)、ホテルを5時前には出発しなければならない。すると愚図なオラは4時には起きなければならない。 昨夜24時の時点で「毎朝すっげえ眠いし、どうにかしよう」と思いたち、旅程を洗いなおした。 ボトルネックになっている駅(乗継時間がかかる)を並べて最適化パズルを組み直したのである。 その結果、大牟田から09:09発に乗って、同じ「西戸崎」「宇美」「若松」を回っても大分に19:22に到達する旅程が組めた。 3時間半遅く出発して30分遅く着くだけなのだ。要は行き方を見直すことで乗継待の時間が短縮されたのだ。 思わず祝杯をあげちまったので、結局のところ就寝したのは25時を回っていた。 と言う理由でゆっくり眠るはずだった。しかし、何故か5時頃には手洗いに起きて、そこから眠れないのである。爺だからかなぁ。 仕方がないから荷物を徹底的に整理してシャワーを浴びて、ゆっくり歩いて8時過ぎには駅に到着。 暇だから駅の周囲を散歩。コンビニはあるけれど些か飽きたし、昨夜のラーメン屋はまだ開いていない。 と、駅に入場したら駅そばがあった。 肉そば 540円だったかな。とにかく美味しくいただきました。 食後はホームをプラプラしていたら電気機関車EF81 452が駐まっていた。これは珍しい。JR貨物が1991年に関門トンネル用に作った特殊機で、164両製造されたEF81の中で、この452と451の2両だけが前照灯・尾灯のデザインが異なる。つまり顔付きが違うのだ。閑で駅を歩いているとこーいう珍しいものに出会うのが楽しい。 駅名標。 7月30日(土)に甘木鉄道に乗った。終点の甘木には西鉄の駅が近くにあった。その甘木に行く西鉄の車両。 9:09発の鹿児島本線快速門司港行に乗って10:33、香椎に到着。ここで香椎線に乗り換える。 香椎線のホームに行くとアクアライナー色のキハ47がいた。 10:40発の西戸崎行が入線。先頭はキハ40 2037。 混んでいるので高校生くらいのグループに訊いたら海の中道に海浜公園があって大きな揃っているらしい。皆でプールに遊びに行くとのことだった。 後側はアクアライナー色のキハ47 71だ。 2両編成で西戸崎に向かって行く。和白の手前で鹿児島本線を越える。 和白で西鉄貝塚線と接続している。 雁ノ巣。雁(かり)の巣があったのかな。 中道信号所。西戸崎行(何故か上り)が進行して、下り(香椎方面)が待機している。後方左に見えているのが1987年に移動した海の中道の旧駅。キハ40の前面展望はガラスが白く曇っているのでこの様な按配になってしまう。 海の中道。ここで乗客のほとんどが下車した。 11:03 西戸崎に到着。折り返しまで9分。かつては、この先にあった港に石炭を運ぶための鉄道線だった。もはや石炭も港も過去の話だ。 水戸岡鋭治巨匠デザインの駅舎。1998年竣工。 お約束の終端駅カット。 今度はキハ47 71が先頭車。上りは11:12発の宇美行になり出発。 中道信号所。何か工事中。海の中道の旧駅、海際にあるからなのか、約30年で凄まじい傷み方だ。 今度は我々の下り列車が待機。上り(西戸崎行)が進行する。 香椎を過ぎて、伊賀。1904年(明治37年)に開業した時の駅名は長者原だった。1908年(明治41年)に伊賀と改称された。三重県の伊賀との関係が分からない。この駅の所在地は伊賀ではない。 駅名だけで馥郁とした香りがしそうだ。 須恵。何故か人形が並ぶ。 12:11、59分で宇美に到着。 ちょっと派手めの駅舎。駅前は広場になっている。 12:26、再びキハ40側が先頭になり香椎に向かう。 長者原、ちょうじゃばる。これから乗る篠栗線(桂川〜吉塚)の所属駅。この駅名標は篠栗線のもの。 実は篠栗線の吉塚〜桂川間が未乗だったのだが、これで吉塚〜長者原間が未乗で残った。 長者原篠栗線ホーム。奥の土手の上を単線非電化の香椎線が直角に交差している。 12:47発、桂川を経て筑豊本線の直方まで行く列車が来た。JR九州813系電車だが特徴的な赤が黒に塗り替えられているので全く印象がちがう。 桂川の手前、筑前大分は「おおいた」ではなく「だいぶ」なのだ。 筑前大分で列車交換。福北ゆたか線(電化された篠栗線〜筑豊本線桂川〜折尾〜鹿児島本線黒崎)を走るJR九州813系電車の特徴がよく分かる。 JR九州817系電車とすれ違った。 天道「てんとう」。「てんどう」と読みたくなる。 直方13:43着で2分後の折尾行に乗換て14:05に折尾着。相変わらず工事中とインフォメーションがグシャグシャの折尾で若松線に乗り換えた。14:14発若松行はキハ31とキハ47が連結されていた。この異種連結には初めて乗った。 若松線は全線複線だが非電化という珍しい路線だ。3両編成とすれ違う。先頭はキハ47。 若松線は洞海湾に沿っている。対岸には鹿児島本線が走っている。この奥洞海は1953年(昭和28年)若松競艇場のための仮停車場として開業した。 若松手前で右側車窓に洞海湾が見える。 先頭車のキハ31に、こんな非常装置があった。揺れた時につかまってしまいそうな位置だ。 14:32 若松に到着。使われていない長大な島式ホーム。 この金網から先が現在使用されているホーム。 終端駅だ。島式ホームの2番線に入る。 こちらが先頭(若松)側のキハ31 7。 後側がキハ47 8070だった。折尾に向けてはこちらが先頭車。 おっ! 駅そばがあった。今朝9時過ぎに大牟田で朝食に駅そばを食べて以来で空腹だ。 ごぼ天肉そば。超美味い。 食後は駅から出て一服。樹が邪魔をするが巨大な寺の甍が見えた。 駅舎を撮る。 足下で何か動いてる!と見たらクワガタがノソノソ歩いていた。 改札の内側からホームを見る。次の折尾行は15:13発なのでまだ20分近く時間がある。 若松は戦前戦後にかけて常時日本で一番貨物取扱量の多い駅だった。もちろん石炭を若松港に積み出していたのだ。最盛期の1940年(昭和15年)には年間830万トンというから最大の10トン積トラック83万台分を扱っていたことになる。気の遠くなる様な数字だ。 しかし石炭産業の終焉とともに1982年には貨物扱い廃止。広大な貨物ヤードは撤去された。 出発時間が近づきホームに入った。駅横にこんなモニュメントを発見したが、一旦改札を出て駅の外を廻らないとならず銘板を見る事ができなかった。 1番線側の終端。見難いが長大なホームが分かる。 15:13発、左手車窓に洞海湾を見ながら進む。 年間830万トンを運んだというだけあって線路の敷地は幅が広い。 15:31、折尾に着いて15:34の鹿児島本線快速門司港行に乗換て15:52に西小倉。そこで日豊本線15:56発の中津行に乗り換えた。 干潟の向こうに工場。撮影した場所が思い出せない。 16:59、中津に到着、乗り継ぐ大分行まで50分以上の待ち時間がある。 この中津のホームから地上へのエレベーターがかわっている。斜行エレベーターで階段に並行して斜めに動くのだ。 エレベーター内から下を見る。 これは短いのだが仕組みがヨク分かる。 駅前に出る。気温が高い。福沢諭吉の像が立っている。彼は中津藩の下級武士だった。 福沢諭吉が1万円札になったのは1984年(昭和59年)だ。 暑いので風(熱風だけど)の抜けるホームにあがり通過する車両を眺める。 ED76は九州用に1965年(昭和40年)から作られた交流電気機関車。1968年(昭和43年)には北海道用に500番台が作られた。この1020機は1979年(昭和54年)製造の最終ロット。現在JR貨物が81と83、1015-1022機の10両を運用している。経年老朽化に対する更新工事が行われているので車体側面製造銘板横に白線が入っている。83を八代で見かけたのが数日前だ。 17:50発の佐伯行は2両編成ですごーく混んでいたが、柳ヶ浦で殆どの乗客が下車、劇的に空いた。 大神。「おおがみ」と読みそうになる。 日出(ひじ)町にあるから日出(ひじ)なのだが、難読だ。 19:22、大分に到着。今夜はJR九州ホテルブロッサム大分に投宿。九州復興割りで値引きされて朝食付きで6650円なのだ。駅の上だし、広くて気持ち良いのだが、とにかく照明が全体的に暗い。目の悪い老人には使い辛いことおびただしい。 突然だが、明日は休日にすることにしました。 本日も「緩い」とは言いながら453分(7時間33分)を線路の上で過ごした。 好きなことなので本人的には全く幸福なのだが、体力的に、些かキツイ。休憩しないと倒れそうだ。 定年退職して「乗り鉄天国」を考えておられる諸兄。くれぐれも、スケジュールは緩く組むようにしましょう。アタシだって5-6年前は連日12時間以上乗っていても全く平気だったのだよ。 しかし、体力は潮が引いていく様に失われていく。60の声を聞いたら無理は禁物だ。 従って、明日は、佐伯までJR、そこからフェリーで宿毛に渡り、土佐くろしお鉄道で一駅移動して終わり。 まぁ、明後日からが、またスペシャルにハードなんだけどね。 本日の移動 鹿児島本線快速 大牟田 ー 香椎 84分 77.7km 香椎線 香椎 ー 西戸崎 23分 12.9km 同 西戸崎 ー 宇美 59分 26.4km 同 宇美 ー 長者原 13分 6.2km 篠栗線 長者原 ー 桂川 27分 19.4km 筑豊本線 桂川 ー 直方 28分 20.5km 同 直方 ー 若松 28分 24.8km 同 若松 ー 折尾 18分 10.8km 鹿児島本線快速 折尾 ー 西小倉 18分 18.3km 日豊本線 西小倉 ー 中津 63分 51.0km 日豊本線 中津 ー 大分 92分 81.1km 453分(7時間33分)乗車して 349.1kmを移動した。
by duchampped
| 2016-08-02 22:40
| 各駅的阿房列車
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