|
カテゴリ
以前の記事
2025年 09月 2024年 11月 2021年 01月 2020年 05月 2017年 04月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 10月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 01月 2011年 12月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 07月 2010年 05月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 11月 2008年 08月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 04月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 フォロー中のブログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
※写真をクリックすると大きくご覧になれます。
さて昨日は颱風の後遺症で増毛まで到達できず、深川に初めて泊まった。秋は近づいてきたがまだ朝の5時には明るくなってくる。冬に旅をしていて困るのは夜明が遅く日没が早いために風景が見えず写真も撮れないので、ついつい明るい時間帯にしかお目当ての線区に乗れないことだ。その前後、暗闇の中は「タダの移動」と割り切るしかない。 と言ふ理由で、深川駅午前5時。雲があるが雨は落ちていない。 ![]() 留萌本線の増毛行は05:44発なので余裕がある。コンビニで買った朝食をゆっくり食べて外で一服。駅前にはまだ人の気配が無い。 ![]() 05:44発の増毛行が入線したので荷物を持って乗り込む。過去に乗った時はガラガラだった車内に人がいっぱいいて、やはり留萌〜増毛区間廃止のアナウンス効果を感じた。 ![]() この留萌本線様の駅名標もいつまでもつのか・・・。 ![]() 増毛行が走り出した。電化された函館本線と分かれてゆく。 ![]() まずは北一已(きたいちやん)。始発の増毛行は通過する。まだ光量が足りない。これは帰路の写真。帰路の深川に進行する上り方向の前面展望だ。1984年(昭和59年)まで交換設備のある相対式ホーム2面2線の駅だった。 ![]() 有人駅時代の駅舎が残っている。 ![]() 実は理由が定かでは無いのだが、往きよりも帰りの前面展望の方が写りが良い。考えられるのは車両前面のガラスが往きの方が汚く、太陽光線の加減も帰路の方が良かったというだけのことかもしれない。従って下りに乗って増毛に向かっているにも拘わらず、上りの前面展望写真が多いことをお断りしておく。 秩父別。1910年(明治43年)に開業した時は筑紫(ちくし)という駅名だった。1954年(昭和29年)現在の秩父別に改称された。やはり1986年(昭和61年)までは交換可能な相対式ホーム2面2線の駅だった。写真はやはり深川方面に向かう上りの前面展望。 ![]() 北秩父別。1日に下りは2本しか停車しない。1956年(昭和31年)に仮乗降場として開業。木製ホームの短い駅。 ![]() 別の機会に撮った古い駅名標。木造駅舎に付いている。 ![]() 雨竜川橋梁を渡る。 ![]() 石狩沼田。1910年(明治43年)に沼田として開業。上越線に沼田が開業したため1924年(大正13年)石狩沼田に改称。1931年(昭和6年)当駅〜札沼北線中徳富(現。新十津川)が開業。1944年(昭和19年)札沼線が不要不急線として休止。1956年(昭和31年)札沼線営業再開。1972年(昭和47年)札沼線の当駅〜新十津川間が廃止。1994年(平成6年)交換設備撤去。札沼線が廃止される前は単式と島式ホーム2面3線だった。現在留萌本線が使っているのは元の札沼線ホーム。線路は無いが島式ホームが残っている。かつては跨線橋があった。貨物を扱った時代には多くの側線と転車台まで備えていた。今はもはやその面影は無い。 ![]() 使われなくなった島式ホームに残る駅名標。このホームが留萌本線用だったことを偲ばせる。尤もJR北海道に移管される前に札沼線(新十津川まで)は廃止されていたのだが。 ![]() 無人の駅舎。待合室の自販機が見える。 ![]() 真布。1956年(昭和31年)に仮乗降場として開業。駅に昇格したのは30年以上経った1987年(昭和62年)、JR北海道に継承された時。写真は上り深川方面の前面展望。 ![]() 恵比島。1910年(明治43年)に開業。カメラをもった人たちが近づく列車を撮っている。上り深川方面前面展望。 ![]() NHK朝の連ドラ「すずらん」(1999年/平成11年)のロケセットで架空の駅「明日萌(あしもい)」の駅舎が組まれ、観光用にそのまま残されている。実際は大半のロケが終了した後に地元の沼田町が旧駅舎の土台の上に建てたもの。20年近く経った今も5〜11月は公開されているらしい。 ![]() ロケ用の駅名標もそのままだ。残念ながらそのドラマを観ていないので何の感慨も涌かない。 ![]() 元々の恵比島駅舎は北海道に多く在る車掌車(ヨ3500形)を流用したものだったが撮影時にカモフラージュの板が貼られたままになっている。右の建物が作られた明日萌駅舎。 ![]() もちろん本物の駅名標もある。 ![]() ◎留萠鉄道:1930年(昭和5年)から1969年(昭和44年)まで40年近く民鉄の留萠鉄道がこの駅を起点に昭和まで(17.6km)を結び、雨竜炭鉱、太刀別炭鉱、昭和炭鉱の石炭と乗客を運搬した。貨物を年間45万トン、旅客を年間45万人運んだ。しかし1968年(昭和43年)の第4次石炭政策答申で中小炭鉱は一気に閉山となり1969年(昭和44年)には休止、1971年(昭和46年)には全線が廃止された。 峠下。1910年(明治43年)に開業。むしろ1984年(昭和59年)まで駅員が常駐し出札・改札業務を行っていたというのが信じられない様な人の気配の無い秘境駅だ。この時は輪行する二人連れが畳んだ自転車を持って乗ってきた。深川〜留萌間で唯一交換可能な駅。 ![]() 無人の駅舎。あらあらキンチョーのTシャツを着て写真を撮るアタシが写っている。 ![]() 上り列車と交換。 ![]() こちらは帰路、下り列車との交換。古い駅舎が分かる。 ![]() 幌糠。1910年(明治43年)に開業。1984年(昭和59年)まで有人で出札改札業務を行っていた。1986年(昭和61年)まで交換設備もあった。この頃駅舎も車掌車のものに替えられたらしい。写真は上り深川方の前面展望。 ![]() 駅名標。峠下が新しく描き加えられているのは、2006年(平成18年)まで東幌糠という駅があったからだ。実は藤山との間にも桜庭という駅があったのだが1990年(平成2年)に廃止されている。流石に駅名標はそれから25年経つ間に作られたものなのだろう。 ![]() お馴染みのヨ3500形を流用した駅舎。煙突がある、ストーブがあるのかな。 ![]() 藤山。1910年(明治43年)に開業。やはり1984年(昭和59年)までは列車交換可能な相対式ホーム2面2線の駅だった。上り深川方の前面展望。 ![]() 駅名標の左側奥に「藤山開拓の碑」が見えている。右側は古い有人時代から残る木造駅舎。 ![]() 継ぎ接ぎで外壁がパッチワークの様な古い駅舎。しかし駅前には見事に人家も何も無い。 ![]() 大和田。1910年(明治43年)に開業。大和田炭鉱の所有者大和田さんの寄付で作られた駅。しかしその大和田炭鉱は1925年(大正14年)に閉山してしまった。しかし1938年(昭和13年)には別の炭鉱(寿炭鉱大和田鉱業所)がこの駅まで専用線を敷き運搬に使った。それも1957年(昭和32年)までに終息。他の駅同様無人化され交換設備が廃止撤去された。 ![]() 隣の藤山に良く似た駅舎があったらしいがそれも車掌車の駅舎に替えられた。このヨ3500形の駅舎、綺麗に塗り直された様だ。以前は塗装が凄まじくボロボロだったのだ。 ![]() ほぼ1時間かかって留萌に到着。 ![]() 綺麗な駅名標だがJR北海道の駅番号が付与されていないのが気になる。札沼線の石狩金沢以北と同じ扱い(そのうち廃線)ということなのか?背後に広がる草原、ここはかつて側線がたくさん敷かれていた。 ![]() 元は島ホームだが線路が剥がされている。実は1987年(昭和62年)旧国鉄最後の廃線となった羽幌線がここから日本海に沿って北上し、宗谷本線の幌延まで141.1kmを結んでいた。現役時代の航空写真を見ると右の土手と小屋の間を右にカーブしてゆく感じだ。 ![]() ここから先の線路が今年2016年12月4日(日)までで廃止される。 ![]() 留萌を出て1つ目の駅が瀨越。制限速度が30km/h以下ということは、地盤が弱いのかな。 ![]() 瀨越。単式1面のホーム。元は海水浴客のための仮乗降場として1926年(昭和元年)に開業した。1969年(昭和44年)臨時駅に昇格。しかし駅に昇格するのは1987年(昭和62年)JR北海道に継承されてからだ。さらに営業キロの設定は1990年(平成2年)まで待たなければならなかった。何と開業してから64年もかかったのだ。 ![]() 駅名標。 ![]() ホーム上にコンクリートの待合室。この前は車掌車の待合室だったらしいが海風で錆びてしまったという。 ![]() 礼受。1921年(大正10年)留萌〜増毛間延伸に伴い開業。ここでも列車を撮る人が居た。 ![]() 車掌車駅舎。ここには煙突が無い。海風を直接受けるからか錆が酷い。ここから右側車窓に海が広がる。 ![]() 阿分。1963年(昭和38年)仮乗降場として開業。1987年(昭和62年)JR北海道に継承されたタイミングで駅に昇格。木製デッキのホームは非常に短く1両編成でも踏切にはみ出す。 ![]() 駅名標。 ![]() 阿分、上り列車の前面展望。本当に短いホーム。中央にガラスの汚れが写っている。 ![]() 留萌〜増毛間で唯一のトンネル、阿分隧道。 ![]() 信砂川を渡る部分で線路が下がっている。 ![]() 信砂。阿分と同じく1963年(昭和38年)仮乗降場として開業し1987年(昭和62年)JR北海道に継承された時、駅に昇格。先程越えた信砂川の河川改修工事で1993年(平成5年)42m増毛方に移設された。移設されたホームも木製デッキで車両1両分。工事現場用プレハブの待合室がある。 ![]() 駅名標。 ![]() 舎熊。1921年(大正10年)留萌〜増毛間延伸に伴い開業。 ![]() ここもヨ3500形の駅舎。窓に「マムシが出ます!お足元にご注意ください!」と貼ってあった。マムシ! ![]() 駅名標。髪型の赤熊(しゃぐま)を想起してしまう。 ![]() 朱文別。1963年(昭和38年)仮乗降場として開業し1987年(昭和62年)JR北海道に継承された時、駅に昇格。超短い木製デッキのホーム(後で木製ではなくプレキャスト・コンクリート製と知った)。 ![]() 駅名標。 ![]() 箸別。ここも1963年(昭和38年)仮乗降場、1987年(昭和62年)駅に昇格。極めて短い木製デッキの駅。 ![]() ちょっと仲良くなった運転士さん曰く「吹雪の夜に、ここや阿分にピタッと車両を停めるのはスゴク難しいよ、札幌駅なんか寝てても停められる」と言ってました。同時に「誰も乗り降りしない吹雪の夜、一人で運転してるとホントに淋しくなる」とのこと。 駅名標。 ![]() 深川を出て90分以上かかって漸く増毛に近づく。 ![]() 07:20、増毛に到着。ここにもカメラをかまえた人が居る。 ![]() 多くの乗客が降りる。運転士さんは「ふだんの10倍は居るなぁ」と感慨深げ。「いつもこれだけ乗っていれば廃止になんかならなかったのに。きっと廃止直前は朝の山手線みたいな混雑になるね」 ![]() ![]() 増毛駅全景。多くの人が街の方に行って人が減った。 ![]() それでも増毛駅周辺でこの様に少なくない人の姿を見たのは初めて。 ![]() 07:35、折り返し深川に戻る列車が出るので戻る人が乗り込む。 ![]() 増毛を出るとすぐに制限速度25km/hの予告があり、その先のカーブから制限が始まる。 ![]() 箸別に、列車にカメラを向ける人。前面のガラスが汚れている。 ![]() 朱文別にもカメラを持った人。 ![]() 舎熊。何故ここにマムシがいるのだろう。川が近いから? ![]() 礼受。 ![]() 橋を渡ると留萌だ。 ![]() 留萌。 ![]() しばし停車。 ![]() 往きとは明らかに明るさが違う。大和田。 ![]() 峠下で列車交換。 ![]() 石狩沼田。をを、乗客が待っている。 ![]() 北地別府。 ![]() 深川に帰ってきた。 ![]() 9:09到着。 ![]() 09:19発スーパーカムイ14号で札幌に10:25着。大人の休日倶楽部パスは優等列車自由席が乗り放題だから便利だ。札幌駅構内の北海道そば蕎麦紀行で美味しい蕎麦を食べて11:20発のエアポート112号で千歳に11:49。 駅名標。 ![]() 初めて千歳で下車した。駅の周辺をぷらぷらして、駅舎を撮る。 ![]() 電化されているがディーゼルのスーパー北斗が通る。 ![]() こちらもディーゼル機関車"RED BEAR"に牽かれた貨物列車。 ![]() 14:27発の夕張行がやってきた。 ![]() キハ40 1767。キハ40 700番台に延命改造したタイプ。エンジンが330PSに液体変速機も3段式に換装されている。 ![]() 千歳を出て、南千歳までは千歳線と一緒だが、駅を出ると石勝線は東に進む。左側にレンタカーの駐車場が広がるが人口希薄地帯。ところで幾つも列ぶこのコンクリートの造作は何なのだ?ちょっとピンが甘いのが気になるなぁ。 ![]() 駒里信号所。当初は駅にする予定だったらしいが近隣に人が住んで居ないので信号所として開業。 ![]() 第1追分トンネル坑口、西早来(にしはやきた)信号所の予告票がある。ここも人口が希薄で駅に出来なかった。 ![]() ピンが合って無くてちょっと気持ち悪いが、追分に到着。ここで石勝線と室蘭本線が交差する。かつては夕張から石炭を積んだ貨車が多く往来したので広い貨物ヤードがあった。今は旅客扱いしかしていないので無駄に広い構内が残る。 ![]() 乗継待があったので駅の外へ出てみた。 ![]() 駅名標。室蘭本線が安平(あびら/大学時代の友人が出身地だと言っていた、子供の頃は電気が無かったそうだ)・三川。石勝線が川端(新しく書き直されているのは2016年3月に東追分駅が信号所に格下げされたから)・南千歳。 ![]() 夕張に向けて出発。東追分の予告票、今年の3月まで駅だったが周囲に人家も無く信号所に格下げ。スノーシェードの向こうで分岐した複線部分が東追分信号所。 ![]() 東追分信号所、3月まで駅だった駅前。ただ畑が広がっていた。駅だった頃はアクセスに困ったらしい。そりゃそうだろう、道がないのだ。 ![]() 時々いるタイプの運転士さん。明らかに中央の貫通扉のガラス越しにアタシが前面展望を撮影していることを知っていて、わざとこうして上着を掛けて撮影を不可能にしてくれる。きっと単に鬱陶しいだけなのだろうが、滅多に乗れない路線を懸命に撮影しているアタシは、哀しくなってしまう。 ![]() 川端。東追分が信号所になったため「おいわけ」と書き直している。 ![]() 滝ノ上。こちらは新夕張との間にあった十三里が2016年3月に信号所に格下げされたために駅名標が「しんゆうばり」と直されている。 ![]() 新夕張。 ![]() ここから石勝線(トマムから先は不通)と夕張線(夕張行)に分かれる。夕張に向かうのは左にカーブしてゆく方。 ![]() 沼ノ沢。駅が左カーブしていてホームが上手く撮れない。 ![]() 駅名標が白く消されている。イタズラか? ![]() 駅舎右側部分にレストランが入居しているので調理具が列んでいる。 ![]() 南清水沢。 ![]() 駅名標。ブレているなぁ。 ![]() 駅舎内に簡易委託の窓口がある。 ![]() 清水沢。駅外にある古い跨線橋が見える。スパンが長いのは線路がたくさん有った時代に作られたからだろう。 ![]() 駅舎までの間にかつては何本もの線路があった。炭鉱が閉山されるまで、石炭を運ぶ専用線がこの駅から延びていたのだ。2004年交換設備が撤去された。 ![]() 稚南部トンネル坑口。複線時代の坑口が残っている。1912年(大正元年)に清水沢〜夕張間が複線化されたが1932年(昭和7年)に単線に戻された。 ![]() 鹿ノ谷。奥の跨線橋は右に50mくらいある。かつて夕張鉄道線の車両区、保線区などの拠点が有り広大な駅構内が広がっていた。 ![]() 夕張鉄道線は夕張本町(夕張市の中心部、1971年廃駅)から鹿ノ谷、室蘭本線の栗山を経て函館本線の野幌まで53.2kmを1930年に全通した。しかしモータリゼーションや炭鉱閉鎖で1971年(昭和46年)には。夕張本町〜栗山間が廃止された。1975年(昭和50年)には残った栗山〜野幌も廃止された。 駅名標。これは2014年3月に撮影したもの。雪に埋もれている。 ![]() 16:23、夕張に到着。ここにもカメラを持った人たちが居た。 ![]() 駅名標。 ![]() 駅名標と列車。 ![]() 夕張駅舎。この駅はこれまでに2度移転している。最初に開業した1892年(明治25年)には石炭積出の便を考慮して市の中心を越えて奥の方に作られた。1985年(昭和60年)炭鉱閉山で1.3km短くなって市の中心部付近(旧夕張鉄道の夕張本町駅跡地)に移転。 さらに1990年(平成2年)現在のホテルマウントレースイの前に移転。営業キロは0.8km短くなった。初代からだと2.1km短縮になる。カメラを持った乗客が降りてウロウロ。 ![]() 16:31、8分後に折り返して千歳に向かう。 ![]() 新夕張16:54着。少し暗くなってきた。十三里が信号所になったので、ちょっと見難いが「たきのうえ」と描き加えられている。 ![]() 千歳行は17:10発なので16分停車。 ![]() 駅から出て駅舎を撮る。 ![]() 1892年(明治25年)に開業した時の駅名は紅葉山だった。1981年(昭和56年)に新夕張に改称された。古い駅名標が駅前広場にある。この横にあった大きな刊行案内の看板が無くなっている。 ![]() 17:43に追分着。ここで千歳行を降りて18:07発の岩見沢行に乗り換える。あらあら日高本線色のキハ40だ。 ![]() 岩見沢に18:52着。ここでスーパーカムイ35号に乗り換えて今夜の宿営地滝川に19:52着。何度か泊まったことのあるホテルに投宿して明日は新十津川に向かう。 流石に今日は留萌本線、石勝線、夕張線と前面展望を撮り続けて疲労困憊。明日は札沼線に新十津川から乗って旭川から遠軽を目指す。
by duchampped
| 2016-09-04 23:50
| 各駅的阿房列車
| ||||||
ファン申請 |
||