カテゴリ
以前の記事
2021年 01月 2020年 05月 2017年 04月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 10月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 04月 2012年 01月 2011年 12月 2010年 12月 2010年 10月 2010年 07月 2010年 05月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 04月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 11月 2008年 08月 2008年 04月 2008年 03月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 04月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 フォロー中のブログ
検索
タグ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
※写真をクリックすると大きくご覧になれます。 さて本日の3本目は上信電鉄。前橋11:34発の両毛線で高崎に11:53着。 ぷらぷら歩いて上信電鉄の乗り場へ。入口に駅そばがあって昼時だったので混んでいた。 JR旧1番線の長いホームを歩いた先に上信電鉄の乗り場がある。この右背後に駅そばがある。 やっと改札。 0番線ホーム。イキナリ鉄道むすめ「富岡しるく」がお出迎え。 ホームの先端に廃車になったデハ203が休憩所「絲綢之間」として置かれている。エアコンが無いはずなので高崎の夏にこの中は暑いだろうと思う。 車内。居心地は良さそうだ。 下仁田から列車が到着。折り返し12:13発の下仁田行になる。車両は上信電鉄200形。運転士が右に坐っている。しかもその窓の方が小さい。 すぐに出発。構内に上信電鉄150形(元西武鉄道)。 チラリと「上州のシーラカンス」デキ1形電気機関車が見えた。何しろ1924年(大正13年)シーメンス製なのだ。 何と運転士さんが右側に坐っている。マスコンが何故右にあるのか訊いたら、かつてタブレット交換するためだった、との答え。 南高崎駅。住宅街の中の駅。前面の窓枠が見切れているが御容赦くだされ。この後もしばしば窓枠が登場する。(笑) 上越新幹線の橋脚を避けるように佐野信号所がある。 2014年開業の新しい駅「佐野のわたし」を過ぎ、烏川を渡る。アタシは鉄橋も好きです。 1926年(昭和元年)開業の根小屋駅。単式1面1線の棒状駅。女性の駅員さんがいた。 山名、古い駅舎が良い。1897年(明治30年)開業。応仁の乱をおこした山名宗全の山名氏発祥の地で山名氏一門を祀る山名八幡宮の門前駅でもある。 西山名を過ぎて、こちらも1897年(明治30年)開業の馬庭。島式ホームの1面2線で列車交換可能。すれ違うのは上信電鉄200形。同じく小さい窓の方に運転士が坐ってますなぁ。 木造の駅舎が良い。 吉井、西吉井、上州新屋を過ぎて、上州福島。1897年(明治30年)開業の古い駅だ。側線に貨車らしきものが見える。正面からは列車が来るので交換するのだろう。正面に妙義山?いずれにしても、あの山の向こう側は軽井沢だ。 放置されている貨車。旧国鉄のワム23000形に見えるがどうなんだろう。 すれ違ったのは上信電鉄1000系電車。1977年(昭和52年)に鉄道友の会ローレル賞を受けている。上信電鉄では新しい車両っぽいが既に40年選手なのだ。しかし運転士はやはり右側に坐っている。 1976年(昭和51年)の製造当初は3両固定編成だったが、2001年(平成13年)に2両固定(クモハ1001+クモハ1201)とクハ1301はデハ200形などとの増結用に分けられた。上州福島ですれ違ったのは2両固定編成の前者だ。 山が近づく。東富岡。駅舎は富岡製糸場をモチーフにしている。 1990年(平成2年)住民による請願駅として開業。 上州富岡、西富岡を過ぎて上州七日市。1912年(大正元年)に開業した時は七日市だった。木造駅舎と改札口が良い。 昭和天皇が陸軍特別大演習時に一之宮貫前神社参拝で行幸した上州一ノ宮、神農原を過ぎて南蛇井。いよいよ山が迫ってくる。 駅所在地の地名だが「なんじゃい?」と関西弁で訊かれている様だ。1897年(明治30年)開業の古い駅。 山麓という雰囲気になってきた。千平。1911年(明治44年)開業。ここからは山岳路線っぽくなる。 赤津信号所で上信電鉄500形電車と交換。元西武鉄道新101形電車。マンナンライフのラッピングは第2編成。こちらはフツーにマスコンが左側、運転士は左側に坐ってる。 高崎を出て1時間、13:14、終点の下仁田に到着。 有人駅。不思議な場所に自転車が駐めてある。 21分後に出る高崎行に乗って戻るのだが一旦駅から出て一服。空腹だが食堂はない。駅舎は古くて良い感じ。 駅舎内。改札口。 ホームに戻ると高崎から乗ってきた上信電鉄200形が隣の線路に移動されていた。 駅名標。 高崎行は上信電鉄150形。雨樋が有るから第3編成だね。こちらも運転士は通常の左側。 で、13:35下仁田発で高崎に戻る。盲腸線は同じ所を「行って来い」なので、往きに見落としたり撮影し損ねたものを撮るには、正にこれ以上のタイミングはない。つまり半分は醍醐味だ。 例えば、下仁田の手前にある廃トンネル跡。これは上信電鉄が軽便鉄道として始まったという歴史に関係している。1924年(大正13年)に電化と改軌(762mmから1067mmの標準軌へ)が行われた時に、現行の切り通し部分に線路が敷き換えられたために軽便鉄道時代のトンネルが廃棄され、そのまま放置されているらしいのだ。90年以上も経っている。これは高崎側の跡で、終点下仁田に向かっている時に気付いた。それで帰路に撮った。下仁田側の方はこの撮影に気を取られていてよく分からなかった。 上信電鉄は下仁田から千平まで鏑川(かぶらがわ)に沿っている。ここには不通(とおらず)渓谷という不思議な名前の渓谷があって、車窓からもその上に架かる不通橋が見える。なにやら心霊スポットで有名だそうです。 吉井駅と馬庭駅の間で鏑川を渡る。不通渓谷の辺りよりも流れが広がっている。不思議な形の岩と白鷺。 佐野のわたし駅の手前で烏川を渡るのだが横に木の橋が架かっている。人が歩いて渡っていたので散歩用なのかな。河原に重機が何台か入っている。 上信電鉄で14:36に高崎に着いた。今日の鉄道旅はここまで。 残りは内田百鬼園先生流に申せば「帰るという用事の移動」である。 9時42分にわたらせ渓谷鐵道で桐生に帰ってきた時に駅そばを食べて以来5時間食べていない。流石に空腹である。高崎の駅そばは何度も食べているが。もちろん食べるのである。つか、鉄旅の最中は駅そばが主食だ。 高崎発15:14の湘南新宿ラインで、新宿に16:59着。中央線に乗り換えて武蔵小金井には17時半頃戻った。「ぐんまワンデー世界遺産パス」は群馬県内のみ有効なので、深谷から武蔵小金井までの運賃を精算して1、490円。 この二日間で集中的に関東の私鉄に乗ることができた。 山万ユーカリが丘線、関東鉄道常総線、真岡鐵道、わたらせ渓谷鐵道、上毛電鉄、上信電鉄と大満足。天気も良かったし。 大手私鉄が関東も関西も名古屋大阪間も九州も残っているが、まぁ、焦らずにゆっくりと乗りに行こうと思う。というか大都市の鉄道も悪くないのだが、アタシは本来、ローカル・単線・非電化が好き。大阪で生まれて東京で育ったからかもしれない。
by duchampped
| 2016-11-16 21:17
| 各駅的阿房列車
|
ファン申請 |
||