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倉橋由美子は昭和10年(1935年)生まれ、デビュー作『パルタイ』の刊行は1960年(昭和35年)、アタシは4歳に過ぎない。つまり同世代の作家というワケでは全くない。アタシが15歳でその作品を初めて読んだ時、彼女は既に30代半ば。ちなみにアタシは早生まれなので高校1年生から2年生になる3月に16歳になったので、彼女をまとめて読んだ高校1年の夏には15歳だったのである。 きっかけは、亡くなった父親の書架に『スミヤキストQの冒険』(講談社/1969)という奇妙なタイトルの分厚い本があったことだった。当時中学生のアタシは凄く気になって、父に「スミヤキストとは、何ぞや?」と訊いたが、何にでも明快に即答する父が「もごもご」と珍しく言いよどんだ。 それでますます『スミヤキストQの冒険』が気になった。が、当時は庄司薫の赤頭巾ちゃんに始まり、安部公房とか読んで、コモンくんがデンドロカカリアになったりしてぶっ飛んでいたので、倉橋由美子に手を出す暇がなかった。まぁ、高校受験の真っ最中だったし。 それで高校1年生の夏休みに、断って父の『スミヤキストQの冒険』を読んだ。以降、丁寧に読むならいちいち断らなくて好きに読んで良いと言われた。大半は興味のない本ばかりだったけどね。後年、中国詩人選を読んだのを除けば、阿部昭の全集などを拾い読みしたくらいかな。大正生まれの父は私小説が好きだったので、むしろ倉橋由美子がその書架にあったことの方が不思議だ。 それで『スミヤキストQの冒険』、これにまたぶっ飛んだ。もう、とても真面目に書いたとは思えない程の諧謔と韜晦に満ちていて、カフカやカミュを読んでいなかった当時のアタシには「全く、こんなのアリなの?」というトンデモな小説だったのだ。 そもそも志賀直哉とか島崎藤村なんて面白くもなんともなかった。高校1年生の時に講談社文庫が創刊された。当時の岩波文庫、新潮文庫、角川文庫は基本的に古典と言われる様な作品が多く、講談社文庫は同時代の作家たちの作品が多く出版されたので端から読んでいた。その頃は暇だったので、おそらく年間200冊のペースで文庫本などを読み飛ばしていたのだ いずれにしても『スミヤキストQの冒険』で倉橋由美子にはまった。それからは『人間のない神』(角川書店/1961)『聖少女』(新潮社/1965)『暗い旅』(新潮文庫)『妖女のように』(新潮文庫)『蠍たち』(徳間書店/1968)『ヴァージニア』(新潮文庫)『悪い夏』(角川文庫/1970)『人間のない神』(徳間書店/1971)『反悲劇』(河出書房新社/1971)『夢の浮き橋』(中央公論社/1971)を一気に読んだ。 スミヤキストが、19世紀前半の秘密結社カルナボリ(炭焼き職人)からの冗句だと分かったのはしばらく後のことだが。 高校時代は倉橋由美子、三島由紀夫、金井美恵子の3人がアイドルだったのだ。特に倉橋由美子は1980年(昭和55年)に『城の中の城』(新潮社)まで10年近く作品を書いていなかったので、特に初期の作品を好んで繰り返し読んだ。 この『精選女性随筆集 倉橋由美子』は文藝春秋から出ているシリーズの第3巻で小池真理子選となっている。 実はこの小池真理子さんと成蹊大学で同じクラブ(哲学研だか思想研)に属していた人と同じ書店のバイト仲間(アタシよりも4歳年上)で、彼女の1978年(昭和53年)デビュー作『知的悪女のすすめ』がベストセラーになった時も同じ書店でバイトをしていた。彼は小池さんのことをあまり良い様には言っていなかった。普段からあまり悪口を言う人ではなかったので、以降、何となく小池真理子という名前を避けてきた。 この本の巻頭に小池さんが倉橋由美子について書いている文章を読んで、剰りにもアタシと似た様な倉橋由美子ファンだった(極めて類型的なのだ)ことを知って40年間小池さんを無視してきたことを少し後悔した。三島由紀夫に傾倒していたことを含めて4歳の年齢差はあるが彼女とアタシは、実に類型的な十代を送っていたのである。とは言ってもおそらくアタシが小池真理子さんの小説を読むことは無いだろうと思う。 そもそも最近はフィクションを読まない。理由は簡単で、還暦を過ぎもはや自分の人生にも、ましてや他人の人生に興味が持てなくなったからだ。 しかし、藤沢周平は全集を読んでしまったので老後は鬼平犯科帳を読むことを楽しみにしている。まぁ未読の本が7割処分したとはいえ千冊のレベルで書架を埋めて埃をかぶっているのだが。 そういえば書架に残してある全集で「吉田健一著作集」(全30巻・補巻2/集英社)、『三田村鳶魚全集』(全28巻/中央公論社)、『稲垣足穂全集』(全13巻/筑摩書房)、『荷風全集』(全28巻/岩波書店、新版の方ではなく1960年代に出された方)などがアタシがページを開くのを待っている。 他にも新字新かなで抵抗があるのだがちくま文庫版『柳田國男全集』(全32巻)もあるし、旧字旧かなの旺文社文庫『内田百閒文集』(全39巻)も一部しか読んでいない。 結局大量に未読本が溜まっているのだ。 ここで今回、倉橋由美子のエッセイを読み返していて(全て既読のものなのだが)倉橋さんが三島由紀夫を正真正銘の天才と認めていたこと、内田百閒と吉田健一の文章を殊の外愛していたことに改めて驚いた。アタシがミシマや吉田健一、内田百閒を愛好するのは十代で深く淫した倉橋由美子の影響も大きいのだ。彼女は渋澤龍彦も高く評価していて、アタシは渋澤の全集を処分してしまったのだが、まぁ十代二十代に渋澤作品はたっぷり読んだからいいやと思い直した。 思うに、渋澤にしても倉橋由美子にしても、ひどく硬質で、論理を結晶化した様な極度に単純な世界なので、十代、二十代にしか愛好できない類いのブンガクだと感じている。 しかし、新潮社から刊行された『倉橋由美子全作品』(全8巻、これも処分してしまった)に収録されなかった桂子さんシリーズ『夢の浮き橋』『城の中の城』『シュンポシオン』『ポポイ』『夢の通い路』『交歓』『幻想絵画館』『よもつひらさか往還』は今でも読み返したいと思う。 渋澤龍彦も『唐草物語』『ねむり姫』『うつろ舟』、遺作となった『高岳親王航海記』は今でも好きな作品だ。 煌めくような硬度は表面を覆っていないが、中心部にある純度の高い空虚は同質なのだ。 昨年5月から急速に読書という積年の悪習から遠ざかって、妙にサッパリした日々を送っていたのだが、結局は古い悪習がぶり返した様だ。ま、仕方ないか。
by duchampped
| 2017-02-12 16:12
| 逍遙的読書
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