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マイク・モラスキーさんの『吞めば都』(ちくま文庫)を読んで、冒頭に溝の口の西口商店街の話が出て来てすごぉく懐かしかった。と言うのは、1996年(平成8年)、溝の口駅前に蒲鉾型トタン屋根のタクシー乗り場があった頃にアタシはこの地に本社のある会社に転職して2008年(平成20年)まで勤めていたのです。その間溝の口駅は激変しました。 2007年(平成19年)2月4日、「溝の口西商店街」は火事で焼失してしまいました。ややっこしいのはその横に「溝の口駅西口商店街」というのが繋がっていて、こちらも戦後の闇市の空気を残す貴重な場所なのです。 2006年の初頭、商店街が火事にあう前に偶々撮った写真が何枚かあったので往時を偲んでみます。当時のデジカメ写真なので画質が悪いのですが、それもまた昭和な味を醸し出しているという事で御容赦下さい。 ※写真をクリックすると大きくご覧になれます。 まずは案内看板を見ておきます。全体はこんな感じでした。落書きが一昔前っぽいですねぇ。 焼け跡闇市的エリアをアップします。 青果店が始めた「やきとりいろは」は今もあります。高津薬局、玉川堂は無くなって居酒屋になっています。明誠書房から津久波精肉店までは居酒屋になって全滅。 今は無くなってしまった若松屋洋品店。昭和のまんまです。最近は地方の商店街でも見かけない佇まい。 若松屋の前から肉の津久波屋方面を見た写真。「キムラヤのパン」の看板の店もカナリ奇妙な店で、記憶では菓子やパン類以外に需要があるとは思い難い中途半端に古い玩具を並べていました。残念ながら店頭を写していません。 逆にパン屋の前から若松屋洋品店方向です。右手前、今は無い相原衣料品店も写っています。アーケードがあったので雨はかからなかったのでしょう。 この商店街への駅西口からの入口にはこの様な看板がありました。 暗がりに合わせると、左側の「案内図」にも無い店舗の体を成していないパン屋と言うか、お菓子屋がありました。クリーニング屋(窓口?)もありました。正面の栄光開発も「案内図」には記載されていません。横に「床屋」独特の回転灯があります。 暗がりの中、「案内図」では右側にあった様ですが、現存するツクバビル「バーバー美樹」の前から焼失した溝の口西商店街方向を見ます。右手の鮮魚店が出火場所。火の気が無い所なので放火と言われています。左の「くまや商店」「カラオケフレンズ」は火事の後無くなり、新しくビルが建ってチェーン店の居酒屋が並んでいます。 そのまま奥に進むとキッチンハセガワ。コの字カウンターの定食屋でした。何度も昼飯を食べた店です。安くて美味しかったなぁ。奥に立喰そば七福がありましたが、この時点で既に閉店していたのかもしれません。「案内図」では「こどまり」になっていた「おしゃれの店こまどり」もシャッターが降りています。 キッチンハセガワの前から鮮魚店のある駅側を見ています。昭和っぽい洋品店は松川。やはりバーバー美樹はこちら側には見当たりません。 最後に南武線の線路の反対側から商店街を撮った写真。判別し難い古い看板がありました。 看板のアップ。「あなたの楽しいお買い物の街」がようやく判別できます。高津薬局も読めます。今は高津薬局はありません。 カメラを左に向けると明誠書房の看板。隣は高名な「かとりや」です。画像がひどいのは写した当人の技量の為ですが、11年前のコンパクト・デジカメの性能はこんなモンなのです。 写真は2006年の撮影ですが、この少し前、2000年代の前半、線路の反対側、最後に写真を撮った場所の近くに夏でもおでんしかないカウンターだけの「おでん屋」があって、店名はオーナーのヘヴィースモーカーお婆さんの名前だった様な気がします。彼女が一人で切り盛りしていました。アタシはこのお婆さんの息子が結婚したという「嫁の実家のある波照間島から来る泡盛」が安く呑めるのと、お婆さんと話をするのが楽しくて通っていたのです。それに会社の人間が来ないというのが良かった。(笑) お婆さんが嫁の実家(波照間島)に遊びに行った話が面白かったな。島には信号が無いとかハブはいないので良いとか、島中の家には鍵が無いとか、まぁそんな平和な話です。 お婆さんは「昔は亡くなった連れ合いと西口商店街」で商売」をやっていたと言っていました。花屋だったかな。夏でもおでんしかなかったおでん屋は2003年頃にはラーメン屋に替わってしまいました。15年くらい前のことです。 アタシはマイク・モラスキーさんの様には居酒屋探訪をしませんが、友人の赤豚氏が時々「良い店発見しました」と安くて良い感じの居酒屋を教えてくれます。その中にはモラスキー氏の著作に出て来た店も数軒ありました。 勤め人を辞めて以降、時間はあっても金が無いのでアタシは専ら安価な素材で丁寧に肴を作って独り家吞みしてます。積年買い溜めたCDが山の様にあるので好きな音楽を聴きながらの一餐です。 でもこの本を読んで居酒屋巡りもしたくなります。まずは、内田百鬼園先生の様に金策から始めますか。(笑)
by duchampped
| 2017-04-02 12:37
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