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ロック・ミュージックを好きだと意識したのはいつ頃だっただろう。
私が中学生になったのは1968年(昭和43年)の4月だ。 自宅は世田谷区だったが越境して杉並区立の中学校に入学した。この中学校、クラスの3分の1が越境入学者という学校で、平たく言えば公立の進学校だった。 中学入学直前の3月にテレビで「巨人の星」が始まった。 中学生になった4月に初めての超高層の霞ヶ関ビルが竣工。父親の会社が近かったので見に行った。 高度成長期の負の側面も目立った。公害病という言葉が富山の「イタイイタイ病」から認知された。水俣病も毎日の様にテレビで報道されていた。 郵便番号が導入されたのもこの頃。当時は5桁で、世田谷の実家は「157」と3桁だったと思う。ちなみに1977年に実家が小金井市に移った時の郵便番号も184と3桁だった。現在は7桁だけど。 まだ歌謡曲というものが圧倒的なマジョリティーだった。 ロックという言葉は、ほとんど流通していなかった。 海外のポップスは洋楽というジャンルで、ラジオを選んで聴かない限りあまり耳にすることもなかった。 小学6年生の時(1937年)GSはブームの頂点にたった。タイガースの“シーサイド・バウンド”が大ヒット。当時テレビでは、ビートルズのパロディ、アメリカのモンキーズが放映されていた。タイガースは、明らかにモンキーズのイメージをパロっていたと思う。 同じ1967年に橋幸夫さんの“恋のメキシカン・ロック”という曲が登場した。しかし、楽曲はロック・ミュージックのカケラも無いリズム歌謡。(笑) これで小学生だった私は「歌謡曲はダサイ」と強烈に認知した。以降、歌謡曲を意識的に聴かなくなった。NHKの「紅白歌合戦」も1967年を最後に、50年、未だに見ていない。 中学生になった1968年、“帰って来たヨッパライ”(フォーク・クルセダーズ)、ピンキーとキラーズが異様に流行っていた。そしてGS(グループ・サウンズ)もまだ元気だった。タイガース、スパイダース、テンプターズのヒット曲と黛ジュン(天使の誘惑)、ヒデとロザンナ(愛の奇跡)がテレビの歌謡番組で一緒に流れていた。 結局GSも歌謡曲だと感じた。 むしろ、街で流れている森繁久彌さんの“知床旅情”が、記憶に残っている。 SONYのWalkmanが登場するのは1979年(昭和54年)、それ以前は、街中に無闇に歌謡曲が流れていた印象がある。 最初にロック・ミュージックを意識したのはたぶん土曜日の15時とか16時とかの中途半端な時間に放映されていた洋楽ヒットパレード的なテレビ番組「ビート・ポップス」だった。考えてみれば、贅沢な1時間番組でこれを見るために土曜日のクラブ活動を私はサボって帰宅していた。 家庭用ビデオデッキが登場するのは、1980年代初頭。10年以上先の話。だからテレビ放送は、オンエアを見るしかなかった。 「ビート・ポップス」は大橋巨泉が司会。解説役の星加ルミ子は「ミュージック・ライフ」(月刊誌の洋楽誌)編集長だった。木崎義二という演歌歌手みたいなヘアスタイルの音楽評論家もでていた。そして、モノクロ放送だった。 カラーテレビが白黒テレビを台数で上回るのは1973年、この5年先だ。テレビ放送は、まだまだモノクロが圧倒的に多く、カラー放送は新聞のテレビ欄に「カラー」とわざわざ表示されていた。 個人的には、テレビアニメ「スーパージェッター」がモノクロからカラーに変わったコトが強く印象に残っている。実は「赤外線透視ゴーグル」がマジで欲しかったんだけど。(笑) 閑話休題。 中学1年生だった私は、ラジオの深夜放送で流れてくるサイモンとガーファンクル“サウンド・オブ・サイレンズ”やポール・モーリア“恋はみずいろ”がイマイチ好きになれなかった。クラスでは、S & G(サイモンとガーファンクル)やBeatlesの“ヘイ・ジュード”の話題ばかりでウンザリした。 個人的にBeatlesをロック・ミュージックとは思わなかった。極度に洗練されたポップ・ミュージックだと感じていた。 中学2年生になると、本格的にラジオ深夜放送を聴くようになった。1969年。ニッポン放送のオールナイト・ニッポンだった。 新谷のり子“フランシーヌの場合”、キング・トーンズ“グッド・ナイト・ベイビー”、千賀かほる“真夜中のギター”が深夜放送からヒットした。 しかし、何と言っても「カメカメエブリバディ」亀渕昭信さんのオールナイト・ニッポンでJimi HendrixやCREAMのロック・ミュージックを聴いたコトがその後の人生に絶大な影響を与えた。 大袈裟だけど、ホントに。ロック・ミュージックに夢中になったのよ。 余談ですが、亀淵さんがオールナイト・ニッポンで毎週一人に1万円をプレゼントしていた「ハガキぶん投げ作戦」で私のハガキが一番遠くに飛んで1万円もらった。オンエアを聴いていたので朝5時にマジで驚いた。(笑) この1万円で、中3だったが高校受験の直後、1971年3月に来日するBlack Sabbathの公演チケットを買った。しかし、ギタリストのトニー・アイオミが指を怪我したとかで来日中止になった。払い戻したチケット代金でリリース直後のJanis Joplin“Pearl”を買った。 往時渺茫。 1969年に戻ると、年末に吉祥寺駅が高架化されてショッピング・モールのロンロンができた。当時は、まだ電車で通学していないので、高架化以前の吉祥寺駅の記憶が曖昧だ。当時国鉄は、1等車をグリーン車(A寝台)に、2等を普通車(B寝台)とした。何だか「差別用語の言い換え」の様で、私はインチキ臭いと感じた。 しかし、時代的には何と言ってもTVCM。「オ〜 モ〜レツ!」でミニスカートがめくれ上がる小川ローザだった。パイロット万年筆の大橋巨泉「はっぱふみふみ」も強烈だった。 巨泉って、俳号なんだよね。自信過剰な俳号だけど。(笑) 庄司薫の「赤頭巾ちゃん気をつけて」が芥川賞をとった。父親が定期購読していた文藝春秋誌上でこれを読んだ。文章が新鮮で夢中になったコトを覚えている。 この頃からクラスで「サインはV」や「柔道一直線」といったテレビ番組の話題に付き合うのがイヤになって、一人で読書に向かう様になった。 「ゲバゲバ90分」は好きだったけど。 1970年4月中学3年生になった。 チャールズ・ブロンソンがテレビで「マンダム」と呟いた年だ。11月には三島由紀夫が市ヶ谷で割腹。 そして私は、人生で初めてロック・ミュージックのLPを買った。 当時久我山の商店街を往復して中学校に通っていた。その商店街に新たに電気店がオープンして比較的充実したLPレコードのコーナーができたのだった。 買ったのは、CREAM“Wheels of Fire”とJimi Hendrix“Band of Gypsys”。 “Wheels of Fire”は、1968年にリリースされた2枚組だが、国内盤はスタジオ(銀色)とライブ(金色)に分けて発売された。悩んだがとりあえず銀色(スタジオ盤)を購入。実はライブ盤の方が数段魅力的だと分かったのは、後に高校生になって輸入盤で2枚組を買い直してからだった。 Jimi Hendrixのライブ盤は、1969年末から1970年にかけてフィルモアで行われたライブ。購入した時は、まだJimi Hendrixは生きていた。個人的には、Buddy Milesの力強いドラミングよりもMitch Mitchellのパタパタ・ドラムの方がJimiの繊細でワイルドなギターには合っていると思う。 この項 続きます。
by duchampped
| 2024-11-23 16:30
| straight jazz
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